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Holde Schöne,hör diese Töne    
  Boccaccio
気高く美しい人よ この調べを聴きたまえ  
     歌劇「ボッカチオ」

詩: ジュネ (Richard Genée,1823-1895) オーストリア
      

曲: スッペ (Franz von Suppe,1819-1895) ドイツ   歌詞言語: ドイツ語


Holde Schöne,hör diese Töne,
hör mein zärtliches Liebesgestöhne,
   Dir,o Süße,sendet er Küsse,
   sendet schmaachtende Liebes grüße!
Mein Gesang,firuliruli,firulirulera,
   dieser Klang,firuliruli,firulirulera,
sagt dir ja,firuliruli,
   wer dir nah,firulirula,
dein geliebtester Gatte ist da!

Dich zu meiden,von dir zu scheiden,
ach,wie nahe gings das uns beiden.
   Doch zu stehen in deiner Nähen,
   o beglükkendes Wiedersehen!
Mein Gesang,firuliruli,firulirulera,
   dieser Klang,firuliruli,firulirulera,
sagt dir ja,firuliruli,
   wer dir nah,firulirula,
dein geliebtester Gatte ist da!

気高く美しい人よ この調べを聴きたまえ
わたしのささやかな愛の嘆きを
   さあ かわいい人 彼がキスしてくれるよ
   切ない愛の挨拶を送ってるんだ
わたしのうたは フィルリルリ フィルリルレ ラ
   このメロディ フィルリルリ フィルリルレ ラ
きみにいうよ フィルリルリ
   きみのちかくにいるのは フィルリルラ
きみの大事な旦那様だ!

きみと別れ きみと離れると
ああ なんて悲しい気持ちになるんだ
   でも きみのそばに立っていると
   おお 喜ばしい再開のとき
わたしのうたは フィルリルリ フィルリルレ ラ
   このメロディ フィルリルリ フィルリルレ ラ
きみにいうよ フィルリルリ
   きみのちかくにいるのは フィルリルラ
きみの大事な旦那様だ!


小林愛雄という人は東大の文学部を出て早稲田実業の校長まで勤められた教育者なのですが、もうひとつ注目すべきキャリアは大正時代の浅草オペラ、ここで数々の名訳をものにし当時のオペラの隆盛に大きく貢献したのでした。代表作は同じボッカチオから「恋はやさし野辺の花よ」で、以前紹介しました通りもしかすると原詞よりも格調高い歌になったのではと思われるほどの見事な日本語詞なのですが、もうひとつこの歌も原詩と翻訳のギャップが面白かったので取り上げましょう。
というのは、私のこの直訳だと全然想像が付かないと思いますけれども、この何の変哲もない愛のセレナーデ(床屋のスカルツァ(Br)がいとしい妻ベアトリーチェに戸口から早く開けてくれ、と仲間の桶屋ロットリンギ(T)や雑貨商のランベルトゥッチョ(T)と歌う歌。実はその妻は家の中で間男と逢引の最中なのですが)に、何と彼はこんな日本語の歌詞を付けたのです。

  娘よ ベアトリーチェ
  なぜそんなに寝坊なんだい
  さあ早く 起きないか
  もう夜が明けてるぜ
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は ベロベロベ
  歌は ベロベロベ
  さあ早く起きろよ

  おいベアトリーチェ 起きないか
  お父ちゃんが今帰った
  飛び起きて 出てこないと
  また大目玉だぞ
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は ベロベロベ
  歌は ベロベロベ
  さあ早く起きろよ

  ベアトリ姐ちゃん まだねんねかい
  鼻からチョーチンを出して
  ねぼすけ姐ちゃん 何を言ってるんだい
  むにゃむにゃ寝言なんか言って
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は トチチリチ トチチリチ ツ
  歌は ベロベロベ
  歌は ベロベロベ
  さあ早く起きろよ

         ベアトリ姐ちゃん(三馬鹿の歌)

これぞ浅草の大衆演劇、といった味わいがたまりません。原語で聴くとドイツ民謡と言われても納得してしまうようなばりばりのドイツ音楽なのですが、日本語で聴くとちょっと卑俗なところもあるコミカルな歌に化けてしまいました。スッペのこのオペレッタ、この「ベアトリ姐ちゃん」だけでなく、有名な「恋はやさし野辺の花よ」や「桶屋の歌」「トスカナのセレナード」...と、かつての浅草オペラで大流行したナンバーが目白押しで聴いていてもとても楽しいです。
東京あたりではオペレッタの熱心なファンも多く、この作品も日本語版での上演が再び行われているように聞いていますが、地方に住んでいるとそれを聴くのもままならず。レコードやCDで昔の録音を味わうしかありません。
エノケンこと榎本健一のEMIに入れた晩年のステレオ録音(エノケン大全集)ではこのボッカチオからの音楽を結構取り上げていて、「恋はやさし」も「ベアトリ姐ちゃん」も「桶屋の歌」もみな聴くことができます。古きなつかしきその芸を聞くもまた一興ではありますが、私がビックリしたのはこの「ベアトリ姐ちゃん」、デュエットの相方に長沢純さんを選んでいることです。
といわれてもご存知ない方の方が今や多いかと思いますのでちょっと補足すると、彼は1960年代、高橋元太郎さん(水戸黄門のうっかり八兵衛でおなじみですが元はアイドル歌手です)や手塚しげおさんと一緒にスリーファンキーズというアイドル3人組のユニットを組んで「悲しい気持ち」や「ナカナカ見つからない」などの曲を吹き込んでいた人気歌手。その長沢さんが喜劇界の大御所エノケンとオペレッタの曲をデュエットするなんていうのはかなりのインパクト。今の日本でいえばジャニーズ系の人気アイドルが伊東四朗さんとデュエットでミュージカル「ラ・マンチャの男」か何かのデュエットを歌うような途轍もないことではないかと思うのですが、歌は自然で実に面白いです。長沢さんの若いのに飄々とした歌い口も素敵ですが、この小林訳の3番の歌詞などエノケンのためにあるようなベランメエ調で、期待通りの至芸を聴かせてくれるのもうれしいです。
このエノケンはキングレコードでも楠トシエ・友竹正則と一緒にトリオでこの曲を歌っていますがこちらもなかなか見事。浅草オペラの伝統を伝える人としては、田谷力三などと並んで貴重な録音を残してくれたといえましょうか。(EMI録音でのフランツ・レハール「フラスキータのセレナーデ」なども絶品だと思います。コメディアンとオペレッタ(そしてジャズ)に接点があった不思議な時代でありました)
また、当時の古い録音としては山野楽器から出ている「浅草オペラ」の復刻CDで、当時「シミキン」の名で大人気だった歌手・清水金太郎の歌った録音を聴くことができます。
なんでも、この人が歌うのに合わせて小林愛雄は訳を作ったのだとか(清水金太郎共訳となっている資料もありましたので、この歌詞には彼の意見やアイディアもかなり入っているのかも知れません)。こちらも熱唱でとても楽しいです。

たぶん、現代の日本語オペラやミュージカルに一番欠けているのはこの猥雑さ、なのでしょう。音楽は奇麗なのにどうも心に残らないものが多いのはそこにあるように思います。
そこらあたりを徹底して極めた「マツケンサンバ」みたいなのがもっと自然にあちこちで出てくるようになったら、日本のオペラ・ミュージカルも今のように閉じたファンだけのものではなく、大正時代のようにブレイクするように思うのですが皆様いかがお考えでしょうか。
名古屋の大須オペラのようにその方向で頑張っている団体もあるようですし、メジャーなところも「われわれは芸術(文化)を創造しているんだ」とかいう勘違いをせずに、もっとこの浅草オペラなどからも学んでみられたら良いように思うのですが。

( 2005.08.17 藤井宏行 )


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