父母のこえ |
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詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
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穏やかな3拍子のメロディに優しい歌詞、「太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ」と、歴史をろくに知らない者の目からみたら、夏休みにおじいちゃん・おばあちゃんの待つ田舎へと帰省する子供のお話のように感じられてしまうのですが、実はこれは昭和20年、敗色濃厚な日本の大都会が軒並み空襲を受ける中、両親の許を離れて安全な田舎へと集団疎開をさせられた子供たちのことを歌ったうたです。もはやレコードなどを生産できる状況でもなく、NHKのラジオで流されたのが唯一人々の耳に触れる機会であったといいますが、現在70歳くらいの集団疎開を体験した人たちにはおなじみの曲になっているようです。
疎開をした先で、「さとで聞いたは何のこえ」に続いて、田舎のおおらかな自然や両親の子供に願う気持ちが歌われ、決して戦争に関わるような言葉は使われていないのですが、やはりあの時代のいろいろな辛いことや悲しいことが連想されるのでしょうか、今では歌われることもなくなってしまったようです。
作曲者の草川信は、以前ここでも「揺籠のうた」を取り上げましたが、まさにあんな感じの心優しいメロディを作るのが得意だった人。この曲も本当に優しい音楽で、戦争という傷跡がなければきっと歴史に残った作品ではないかと思います。
まだあどけない子供たちが、親元を離れて暮らさざるを得なくなり、そして空襲の如何によっては親と永遠の別れになってしまう(前回取り上げた「 新しき朝」、永井隆氏の2人の子供たちも疎開していたことで被爆は免れましたが、母親と永遠の別れを、そして程なく父親とも別れを余儀なくされてしまったのでした)。大人の都合で翻弄される子供たちの話を見聞きするにつけ、こんな優しい歌の背後に隠れた悲しい歴史の重みに感じ入るところがありました。
http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/index.htm
ここは歴史的事実を淡々と記述しているサイトで読み手があります。強制的なものであったにも関わらず実は疎開できずに残留していた児童が結構な数いたこと、しかしそんな児童は建前上はいないことになっていたために教育も満足に受けられなかった、という話は初めて知りましたが、これに限らず知らなかった事実がいろいろありました。
( 2005.08.13 藤井宏行 )