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阿波祈祷文    
 
 
    

詩: 野上彰 (Nogami Akira,1909-1967) 日本
      

曲: 清水脩 (Shimizu Osamu,1911-1986) 日本   歌詞言語: 日本語


なんぼわっせたらええんや 
せこいこっちゃ
東に今日も大砲が鳴っとる
西に今夜もタンクが軋んでいる
ぎょうさん人が泣いてなはる
赤ん坊までが泥まみれ 
おっかはんの腕で死による
神さん 仏さん
おまはんたちはなにしよんで
地球が呻いてんのが聞えんので
(ああ しんだ ああ しんだ)
ちゅうって泣いてんのやで

ごしゃめんなして わいはもう
この地球からあの世へとやら
でかけんならん年よりや
ほなけんど
だんだんおせわになってきた
このあばただらけの
地球がかわいそうでなりまへん
神さん 仏さん 
ひつこいことは言いまへん
こなな ぼけな ごじゃなことを 
やめておくなはれ
これこのようにたのみます おがみます
ああ ああ ああ ああ ああ

どれだけ忘れてしまったらいいのだろうか
つらいことだ
東に今日も大砲が鳴っている
西に今夜もタンクが軋んでいる
たくさんの人が泣いている
赤ん坊までが泥にまみれ 
母親の腕の中で死んでいく
神様 仏様
あなたたちは何をしているのだろうか
地球が呻き声をあげているのが聞えないのか
(ああ つかれた ああ つかれた)
と泣いているのに

おゆるし下さい 私はもう
この地球からあの世へ
出かけなければならない年よりだ
だが
いろいろと厄介になってきた
このあばただらけの
地球がかわいそうでならない
神様 仏様
くどいことは言いません
こんな愚かな ばかげたことを 
やめさせてください
このようにお願いいたします おがみます
ああ ああ ああ ああ ああ

徳島出身の詩人の野上が、その地の老婆の口を借りて、壮絶な反戦歌を書きました。彼の死の前年の1966年の春、もともとはこの詩を皮切りに連作を書く構想があったようですが、この年の秋に脳の病で倒れた野上にはそれは果たせませんでした。清水はこれをアカペラの男声合唱曲に仕上げ、この66年の秋に東海メールクワイアーの演奏で初演されました。
この東海メールクワイアーの1969年の録音が収録されたCD(Victor)における作曲者自身の回想がとても興味深いので一部抜粋して転載させて頂きます。
「1966年春の或る日、或る会合で野上彰に会った。会が果てるころになって、「こんなのを書いたが、気に入ってくれたら作曲してくれないか」といって手渡された詩稿、それがこの「阿波祈祷文」であった。阿波生まれの野上彰は阿波弁でこの詩を書いた。そしてていねいなことに、その時一緒に標準語訳もそえてあった。私は立ったまま、さっと一読した。その間、野上はじっとめがねの奥から私の目をみつめていた。私は異様なおののきをおぼえた。老婆の声をかりた「反戦歌」である。平和をもとめる悲痛な声が、仏教的な諦念の中に埋めこまれ、無学ではあるが素朴で洒脱な一個の人間の想念でみたされている。
 私はたちどころにこの詩をくれたことを野上に感謝した。(後略)」
1960〜70年代にかけてはこのような反戦の音楽が当たり前のように作られ、そして受け入れられていった時代でした。そんな中のひとつの傑作として、作詞者・作曲者の名とともにこれからも歌い継がれていくこと。そしてこの時代の人たちの反戦への願いを後の世の人たちにも伝えていくことが私たちの世代の責務ではないかと、そんなことを最近よく思います。

( 2018.02.04 藤井宏行 )


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