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抜刀隊    
 
 
    

詩: 外山正一 (Toyama Masakazu,1848-1900) 日本
      

曲: シャルル・ルルー (Charles Edouard Gabriel Leroux,1851-1926) フランス   歌詞言語: 日本語


我は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
これに従ふつはものは ともに慄悍(ひょうかん)決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を
起せし者は昔より 栄へしためしのあらざるぞ
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣(つるぎ)ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし
 
皇国 (みくに) の風ともののふの 其の身を護る魂の
維新このかたすたれたる 日本刀(やまとがたな)の今更に
又世にいづる身のほまれ 敵も味方も諸共に
刃の下に死すべきぞ 大和魂あるものは
死すべき時は今なるぞ 人におくれて恥かくな
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし
 
前を望めば剣なり 右も左も皆剣
剣の山に登るのは 未来のことと聞つるに
此世に於てまのあたり 剣の山に登るのも
我身のなせる罪業を ほろぼすために非ずして
賊を征伐するがため 剣の山も何のその
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし
 
剣の光りひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か
四方に打ち出す砲声は 天にとどろく雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や 弾に砕けて玉の緒の
絶へてはかなく死する身の 屍は積んで山をなし
其血は流れて川をなす 死地に入るのも君の為め
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし
 
弾丸雨飛(うひ)の間にも 二つなき身を惜しまずに
進む我身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の
はかなき最期とぐるとも 忠義の為めに死ぬる身の
死して甲斐あるものなれば 死ぬるも更に怨みなし
我と思はん人たちは 一歩もあとへ引くなかれ
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし
 
我今ここに死ぬるのは 君のためなり国のため
捨つべきものは命なり たとひ屍は朽るとも
忠義のためにすてし身の 名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん 武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言われるな 卑怯者とそしられな
敵の亡ぶる夫れまでは 進めやすすめ諸共に
玉ちる剣ぬきつれて 死ぬる覚悟で進むべし



西洋近代化のグローバルスタンダードを取り入れないと、日本自体が西洋の植民地にされてしまう...そんな危機意識から西洋化が最も早く進行したのはやはり軍隊制度でしょう。徴兵制を敷き軍備を近代化し、そして隊列を整え兵士たちを整然と行動させるためには軍楽の役割というのは非常に大きいものがありました。
明治の他の近代化分野同様、この軍楽のシステムも自前で迅速に作り上げることは不可能でしたから、お抱えの外国人を雇って指導をしてもらったのですが、陸軍でその役割を担ったのがフランス人のル・ルーでした。それまでの日本には音楽に合わせて集団が整然と行動するという習慣がなかったので、行進曲などの導入には大変苦労したのではないかと思います。

そんな彼がまさに日本で初めて作った軍歌がこの「抜刀隊」、ヨーロッパ仕込みのメロディにほんのりと日本情緒を入れて聴いていてもかなりのインパクトです。
高らかに鳴る悲壮なファンファーレ(同じルルーの手になる「扶桑歌」という曲だそうです)に続く冒頭のメロディ(ビゼーのオペラ・カルメンの第2幕、ドン・ホセが歌う竜騎兵の小唄に似ていると堀内敬三が指摘していたのだそうですが、確かにそんな感じです)が2回転調を繰り返し、最後は勇壮な長調で締めくくるあたり70年代の合体ロボットアニメのテーマ(ゲッターロボやコンバトラーVなんかの主題歌)のような味わい。きっとアニソン(アニメソング)の帝王・佐々木功さんや水木一郎さんが歌ったら見事にはまる作品だろうな、と妙な想像を掻き立てられてしまう作品です。
と思っていたらゲームソフトで「美少女抜刀隊」とかいうのがあって、その発売元のサイトでこの曲を詳しく解説していました。けっこう詳しく調べていて脱帽です。ル・ルーの生没年は他で調べても分からなかったので、このサイトのものを使わせて頂きました。
アニメソング、とくに男の子向きのやつのルーツにはきっと軍歌があるに違いない、ということを如実に感じさせるひとコマです。そういえば瀬戸口藤吉の軍艦マーチをそのままテーマソングに使った特撮番組がある、という話をどこかで見かけたことがありますが、どなたか詳細はご存知ないですか???

作詞の外山正一は東京帝大の文学部の教授、何やら東大の初代の総長としても名を残しているような人なのでありますが、漢詩や和歌ではない近代的なスタイルの日本の詩を作ろうということで、「新体詩」の運動を提唱した人のひとり、そしてこの「抜刀隊」自体もその新体詩として明治15年に発表されたものなのだそうです。今回その大元を見る機会がありましたので、その詩を(漢字の旧字体などは探すのが大変なので新しいものを使っています)ここに写させて頂きました。歌として伝えられているもの(検索するとあちこちのサイトで見られます)とところどころ微妙に違うのはそのためです。
詩は西南の役、西郷隆盛率いる軍隊を征伐するのに大活躍した警察部隊のことを描いています。「敵の大将たる者は 古今無双の英雄で」とあるのは西郷隆盛のこと。武士階級の最後の反乱ともいえる西南の役が明治10年で、この歌ができたのが明治18年ですからまだそれほど間がない時期。そして日清戦争が明治27年ですから日本の近代化というのは考えてみるとこの時期に急速に進んだのですね。明治維新からわずか三十年足らずで本格的な近代戦を戦えるようになっていたというのは思えば物凄いことです。その過程で生まれた軍歌のルーツとして、そして今でもアニメソングに見られるような西洋音楽受容のひとつの流れの源流としてこの曲はもう少し省みられても良いように思います。

歌付きで聴くのも良いですが、この曲は日本陸軍の分列行進曲として使われ、いくつかの吹奏楽の録音で取り上げられているマーチングの形態で聴くと物凄い迫力です。陸軍軍楽隊による歴史的録音から自衛隊のバンドによるものまでいろいろあるようですが、私は吹奏楽にはあまり詳しくないのでこれ以上深入りはしません。
でもこんな風にブラスバンドの演奏でこの曲が華々しく演奏されるのを聴いた明治の人たちはたぶん相当タマゲタことでしょう。やがて民間でもこんな楽隊のミニチュア版が生まれたのは日清戦争の頃(明治27年前後)といいますが、それはそのままチンドン屋のスタイルへと繋がっていきます。

アニソンばかりでなく、「よみがえる浅草オペラ」というCDでもジンタの演奏による「テッペラリー」の1節がこの抜刀隊であったり、この歌が日本風に歌い崩されて少女の手毬歌(「一番初めは一宮」という曲など)になったり、壮士演歌の流れで「ラッパ節」や「青島節」などに化けたり(これも確かにほのかに面影があります)、いろいろなジャンルで日本の音楽に広く根を下ろしたこの曲のルーツが実はフランス人の手になるものだ、というのも興味深い事実です。それだけ強烈なインパクトの音楽ということなのでしょう。
ぜひ吹奏楽による演奏でまずお聴き下さればと思います。

( 2005.07.21 藤井宏行 )


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