They are not long,the weeping and the laughter Songs of Sunset |
涙も 笑いも 長くは続かない 日没の歌 |
They are not long, the weeping and the laughter, Love and desire and hate: I think they have no portion in us after We pass the gate. They are not long, the days of wine and roses: Out of a misty dream Our path emerges for a while, then closes Within a dream. |
長くは続かないのだ 泣くことも 笑いも 愛も 願いも そして憎しみも 我らの元には留まることはないだろう 我らが天国の門を通りすぎたあとには 長くは続かないのだ ワインとバラに満ち溢れた日々も 霞のような夢の中から 我らの歩む道がほんの一瞬現れても やがて消え去る ほんの夢のうちに |
"1962年、ジャック・レモンとリー・レミック主演で1962年に製作された映画「酒と薔薇の日々」、アル中の話と言ってしまえば身も蓋もありませんが、とても悲しい夫婦愛を描いた作品として印象的。そしてその同名の主題歌は今やスタンダードナンバーとしても知られた名曲です。
還らない昔の思い出を慈しむかのようなその歌詞には、“Through the meadowland toward a closing door(野原を通り閉まり行くドアに向かって)”という一節がありますが、実はこれも含めてこの歌詞全体、もっといえばこの映画のテーマ自体が、19世紀イギリスの詩人アーネスト・ダウソンのこの詩[涙も 笑いも 長くは続かない]からきているのです。
楽しいことも悲しいことも皆ひっくるめて思い出の日々は過ぎ去り、そしてあの世に旅立ってしまえばもう記憶さえもどこにも残らない。しみじみとした諦観が心を打つ詩ではあります。恋に破れ、不治の病に若くして世を去った詩人の心や如何。
ダウソンの原詩のタイトルは""Vitae summa brevis spem nos vetat incohare longam(人生の盛りは短く それが長く続くという希望をわれらは禁じられている)""、古代ローマの詩人ホラティウスの詩の一節のようです。
この美しい詩を音楽の最後にソプラノとバリトンのソロ&合唱で歌わせているのが、イギリスの作曲家フレデリック・ディーリアスの「日没の歌」。この詩だけでなく抒情味あふれるダウソンの美しい詩を全曲に散りばめた美しい作品です。
まさに一日の終わりの夕暮れに、あるいは人生の黄昏を老年期の始まり(定年直後?)に噛み締めるかのようなこの歌。ディーリアスの音楽の持ち味に最高にマッチした傑作と言えるでしょうか。とはいいつつも私はそれほど熱心なディーリアスの聴き手ではありませんので、私が聴いたのはトマス・ビーチャム指揮のロイヤルフィル、フォレスター(S)とキャメロン(Br)のソロにビーチャム協会合唱団の歴史的録音(EMI)のみです。他にもディーリアスゆかりのエリック・フェンビー&ロイヤルフィルのもの(UNICORN)や、このような合唱つき管弦楽作品に深い愛着を示し多数の名録音のあるリチャード・ヒコックス&ボーンマス響のもの(Chandos。ソリストにブリン・ターフェルの名も見える)などがあるようですが残念ながら聴いたことはありません。ディーリアスの音楽の中でも意外と人気がないのか、ビーチャムが複数の録音を残しているほかはあとはグローブス&ロイヤルリヴァプールフィルくらいしかカタログには見えませんでしたけれども。
有名な方の「酒とバラの日々」の詩は著作権の関係でここには載せられませんが、NET検索して頂ければ英語の原詞も、日本語訳も容易に見つけることができます。
ぜひこのダウソンの詩と見比べていただいて、如何にあの有名な歌がこのダウソンの詩に影響を受けているか(というよりも和歌でいう本歌取りの関係にあるか)を見取ってみてください。日本のポップスや歌謡曲でも伝統文化の背景を紐解くとより深く理解できるものがあるように、欧米のポップスやスタンダードナンバーにもそれぞれの伝統文化が深く根を下ろしているということでしょうか。
そういうものを軽んじているところは、一時的にはウケが狙えても多くの人の心を打つものはできないのでしょう。最近日本で長く歌い継がれるヒット曲がなかなか出ない理由というのがなんとなくわかってしまったような気がします。問題の根は深い..."
( 2005.07.21 藤井宏行 )