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Aloha Oe    
 
アロハ オエ  
    

詩: リリオカラニ (Liliuokalani,1838-1917) ハワイ
      

曲: リリオカラニ (Liliuokalani,1838-1917) ハワイ   歌詞言語: ハワイ語


Ha'aheo ka ua i na pali
Ke nihi a'e la i ka nahele
E uhai ana paha i ka liko
Pua 'ahihi lehua o uka

Aloha 'oe,aloha 'oe
E ke onaona noho i ka lipo
One fond embrace A ho'i a'e au
Until We meet again

山にかかる雲は雨を降らし
木々の間を通り過ぎていく
雲はまるで探しているかのよう
山に咲く花 レフアのつぼみを

さよなら さよなら
深い森に香りを漂わせ去り行く人よ
旅立つ前に One fond embrace (もう一度抱いて)
Until We meet again (また逢える日まで)


ハワイの歌、といえば多くの人はこの歌を真っ先に思い浮かべるのではないでしょうか?
穏やかな旋律に乗せてまるで子守唄のような歌ですが、詞の内容は悲しい恋人との別れを歌った歌。
しかも作ったのがハワイ王国最後の女王リリオカラニ(厳密にいうと、当時の流行歌を女王が用いて作ったのではないかとも言われてはいますが)、アメリカによるハワイ統合後、軟禁状態に置かれていたときに書かれた歌だという伝説もあるくらいですから、穿った聴き方をすれば独立国ハワイのレクイエムとして聴けないこともない悲しい歌です。
アメリカの統治下でハワイ独自の文化も次第にあるいは急激に失われていき、今私たちがハワイアンミュージックとして聴いているものも、ちょうど日本の音楽が洋楽の影響を受けて変容してしまったように大きく変わってしまったあとの音楽(日本民謡の伴奏にエレキギターやらサックスやらを入れてケバくしているのと似たようなものといえなくもない)なのですが。まあ今の日本人は自分たちの伝統が失われてしまうことに対する感傷はもはや持っていないようですけれども、明治のころは失われ行く伝統文化に対する葛藤がそこかしこであったのでしょうね。もはや西洋の影響を受けていない純粋な日本文化といえるものはほとんど残っていないことを思うと、19・20世紀の西洋文明の伝播力の物凄さはまるでゴキブリやインフルエンザのよう、すっかりこの伝染病にやられて日本古来の土俗的な匂いのするものを毛嫌いする患者も続出する始末です。
(というよりも中途半端に和洋折衷のものがものすごく悪趣味で気持ち悪い、ということもありますが...これは私もあまり好きでない。具体的に何と挙げつらうのはやめときますが)

と脱線はともかく、この歌、昭和の初め頃にどっと流れ込んできた多くのアメリカからの音楽と共に日本に紹介されました。
当時はジャズもラテンもユーロポップもみなまとめて洋モノは皆ジャズソングと呼んでいたりしましたが、この曲はハワイ音楽の代表格と意識されていろいろな人が取り上げているようで、この時代にはハワイ出身のミュージシャン、アーネスト・カアイのバンドが活躍したり、ハワイの日系2世・灰田晴彦・勝彦兄弟などのバンドではスチールギターなども取り入れて結構本格的なハワイアンも日本に既に紹介されており、そんな中でよく取り上げられていたのだといいます。
興味深いのは当時の大物オペラ歌手、三浦環や藤原義江といった人たちがこの歌を歌っていることで、歌詞にしても堀内敬三や伊庭孝、徳山lといったオペラ関係者によるものが競いあうように作られているのも面白いです。原詞に近くてよくできているなあ、と思ったのが伊庭孝や堀内敬三の訳、ただ私が小さいころからなじんでいて聴いていてしっくりくるのは徳山lのものでした。もっともこちらはハワイに別れを告げる歌になってしまってますが...
伊庭訳と徳山訳は著作権が切れていますので下に載せておきましょう。申し訳ありませんが著作権存続中の堀内敬三のものは皆さんご自分で探索ください。

こんなに当時はオペラづいていた「アロハ・オエ」ですが、最近のオペラ歌手はだれも歌わないのか、ポピュラー曲ばかりCDに吹き込んでいる人たち(誰とはいいません)でも驚いてしまうくらいこの曲は取り上げていないようです。この曲自身のポピュラリティが下がった、ということもあるのかも知れませんが、とても素敵な曲ですし、そんなにクラシックからかけ離れた歌でもないので(美空ひばりの曲なんぞを妙なヴェルカント発声で歌うよりはよほどマトモ)、もっと取り上げてもバチは当たらないと思うのですが...

上に挙げた昔の歌手では、私は藤原義江の歌った録音を耳にしたことがあります。この歌の訳詞はなんと歌謡曲の作詞家の大御所のひとり佐伯孝夫。原詞にないしのび泣くカモメとかも出てきてハワイというよりはまるで神戸か横浜の情景になってしまいました。佐伯氏の日本の歌謡曲に対する貢献は高く評価する私ですが、こと外国曲の訳詞といいうことになると以前取り上げた「夜来香(イエライシャン)」といいこの曲といい、典型的な日本情緒の歌謡曲の世界に強引になんでも変えてしまうのはちょっと困ったものがあるなあ、というのが偽らざる感想です。
まだこのアロハ・オエは佐伯詞がメジャーにならなかったから良いですが、「夜来香」なんかすっかり日本人に誤解されてしまっている...

聴いたことはないのですが、三浦環はこれも有名な歌謡曲の作詞家・青木爽の詞によるアロハ・オエを歌っているようです。これに限らずJASRACのデータベースを見ると出るわ出るわ、物凄くいろんな人がこのアロハ・オエには詞を付けているのですね。丘灯至夫の詞(歌はなんと舟木一夫だそうです。歌詞も含めてちょっと興味有)や阪田寛夫(これも詞をとても見てみたい。どなたか収録楽譜などご存知ありませんか?)、さらにびっくりするほど異色なのがマルチ英文学者の林望なんてひとも手がけているようです。

原詞はハワイ語なので、私には判読不能。色々調べてみましたが結構既訳にはブレがあります。英語のサイトの訳なども参考にこれが一番正しそうだ、と思われる内容にしましたが、間違っているところがあればご指摘下さい。最後が英語なのは原詞もそのようで、なぜそうなのか?は非常に興味をそそります。

Victorから出ている「アロハ・オエ ハワイアン・イン・ジャパン(戦前編)」という非常に興味深いCDで、この昭和初めのハワイアン受容の興味深い歴史を追体験できます。上で挙げた藤原義江のアロハ・オエも収録されていますし、灰田勝彦やバッキー白片といった日系ハワイアンの活躍、二村定一・四谷文子・岸井明・平井英子など当時の流行歌手たちの歌うハワイアン音楽と多彩な選曲が興味深いです。


 二人の別るる時は 雲さえ 低くたれて
 袖引き止むる力も 涙おさえて 佇む
 さらばよ さらばよ 花の中に 汝(なれ)を待たん
 別れの接吻(くちづけ) いざいざ さらばよ
 
 聴くや海の呻く声 我がなげきに 応えて
 さあれ我が心は燃え 絶えぬ 想いに叫ぶも
 さらばよ さらばよ 花の中に 汝を待たん
 別れの接吻 いざいざ さらばよ

          伊庭 孝 詞


 やさしく奏ずるは ゆかしウクレレよ
 ハワイの波静か 夢を乗せて揺るる
 アロハ オエ アロハ オエ
 こだまする あの調べよ
 アロハ オエ アロハ オエ
 さらばハワイよ

 乙女のかき鳴らす 嬉しギターレよ
 果て無き海越えて 遠く遠く響け
 アロハ オエ アロハ オエ
 こだまする あの調べよ
 アロハ オエ アロハ オエ
 さらばハワイよ

      徳山 l 詞

( 2005.07.09 藤井宏行 )


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