婦人従軍歌 |
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火筒(ほづつ)の響き遠ざかる 跡には虫も声たてず 吹きたつ風はなまぐさく くれない染めし草の色 わきて凄きは敵味方 帽子飛び去り袖ちぎれ 斃れし人の顔色は 野辺の草葉にさもにたり やがて十字の旗を立て 天幕(テント)をさして荷(にな)いゆく 天幕に待つは日の本の 仁と愛とに富む婦人 真白に細き手をのべて 流るる血しお洗い去り まくや繃帯白妙の 衣の袖はあけにそみ 味方の兵の上のみか 言(こと)も通わぬあだ迄も いとねんごろに看護する 心の色は赤十字 あないさましや文明の 母という名を負い持ちて いとねんごろに看護する 心の色は赤十字 |
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明治の女性のことを歌った歌を「ハイカラソング」に続いてもうひとつご紹介しましょう。「婦人従軍歌」という題名から軍歌のひとつだと勘違いされてか封印され、今やほとんど忘れられようとしている歌ではありますが、これって実は日本のナイチンゲール、従軍看護婦たちの活躍を歌にしたものなんですよね。折しも明治27年、日清戦争の年の作品です。
作詞の加藤義清(1864-1941)は軍楽隊の旗手を勤めたこともある人なのですが、彼が出征する友人を見送りに新橋駅に行ったときに、赤十字の看護婦たちもまた凛々しく戦地に出発していくのを見て感動し、戦場で傷病者たちの看護に活躍する彼女たちを描写したこの詞を書いたのだといいます。戦死者や戦傷者があふれる戦場の悲惨さをけっこう生々しく描写していてその率直さに驚かされます。
作曲者の奥好義(1858-1933)は宮内庁の楽師であり華族女学校教官を勤めた人で、「君が代」の作者のひとりではないか、とも言われている人でもあるそうなのです(公式には林広守とされているが、複数の作者によるものだという説もある)。作品には「紀元節」や「天長節」などの記念行事にちなむうた、あるいは珍しいところでは「のらくろの歌」(調べてみるとこれは後の替歌のようでした。失礼)なんてのもあるようです。
「言(こと)も通わぬあだ迄も」とあるのは、戦っている相手の中国(清)兵の戦傷者のこと。明治に歌われた戦争のうたはこんな風におおらかというか率直というか感じたことをそのまま歌にしていて、戦意高揚とか国民団結とかの打算とは違ったところに力点を置いているものがけっこうありますので、見ていても聴いていてもすがすがしさを感じます。変に封印するのは日本の歴史をきちんと振り返る意味からもやめた方が良いと思うのですがいかがでしょう。学校で歌わせろとまでは言いませんが...
とても古い歌なのであまり最近の録音はないようです。ドレミの歌の翻訳で知られる歌手のペギー葉山さん(彼女は意外と軍歌・戦時歌謡を歌っている)の録音なんかがありますがそんなものでしょうか。もっと古いところでは渡辺はま子さんや森繁久弥さんなんかが入れているようですが。
森繁さんの歌の録音は一度聴く機会がありましたが、ママさんコーラスのようなホンワカとした女声合唱と掛け合ってとても不思議な雰囲気でした。
( 2005.06.11 藤井宏行 )