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花の街    
 
 
    

詩: 江間章子 (Ema Syouko,1913-2005) 日本
      

曲: 團伊玖麿 (Dan Ikuma,1924-2001) 日本   歌詞言語: 日本語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください


先ごろ91歳というご高齢で亡くなった詩人の江間章子さんの作品では、中田喜直の曲がついた「夏の思い出」が大変有名で、死去を報じたニュース記事でもほとんどがそのことに触れていましたが、もう1曲非常に広く知られた作品としてはこの團伊玖麿作曲の「花の街」があるのを忘れてはいけないでしょう。曲は戦後間もない昭和22年、NHKのラジオ番組「婦人の時間」のテーマとして流されて広く知られるようになった曲ですが、作詞者自身の言葉によれば

  「戦争が終わり、平和が訪れた地上では、
   瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。
   その中に立った私は夢を描いたのです。
   ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、
   平和という名から生まれた美しい花の街を。

   詩の中にある「泣いていたよ 街の角で」の部分は、
   戦争によってさまざまな悲しみや苦しみを味わった
   人々の姿を映したものです。」
       (中学校の音楽・教育芸術社)

とあります。この歌もまた戦争の傷跡と切っても切れない関係にあったのですね。ただ、そんな苦しい時代に作られた歌であるがゆえにまた今の人の心をもうつような美しさに輝いている、ということもまた言えるのであって、まだ20代前半であった作曲者のみずみずしいメロディと共に永遠の魅力に満ち溢れている曲でしょう。前奏の夢見るような響きからユートピアへの憧れが感じられ、どんなに豊かになってもこれはいまだ見果てぬ美しい夢の世界のように思えてなりません。
江間さんの残してくれた平和への切なる祈り。ずっと歌い継がなければいけませんね。どうぞ安らかに。

今回いくつかの録音を聴いておやっと思ったのは、第一番の歌詞の最後のところ、私は「春よ春よと かけていったよ」と覚えていましたし手持ちの古い楽譜でもそうなっていたのですが(米良美一さんのCDでもそう歌われていました。またWEB上に載っている歌詞もほとんどそれです)、鮫島有美子さんや松本美和子さんの録音では、ここが「歌いながら かけて行ったよ」となっており、図書館で見た新しい歌詞集でもそうなっていたことです。おそらく江間さんがどこかのタイミングで詩を改訂されたのではないかと思いますが真相は分かりませんでした。でも團さんのメロディは「春よ春よ」の方にぴったり来るように書かれていますので(私がこちらの詞の方になじんでいるせいもあるのでしょうが)、「歌いながら」の詞の方にはちょっと違和感を感じました。

未聴なのですが、藍川由美さんのCD「ラジオから生まれた歌」ではオリジナルの楽譜で歌われているとのこと。こちらがどちらの詞で歌っているかが興味深いところです。状況証拠からすると「春よ春よ」のような気もしますが。
どなたかここの改訂の経緯についてご存知の方はおられませんか?
(2005.03.26 藤井宏行)

その後聴く機会のあった藍川由美さんの音盤のライナーノートの中で、この経緯が書かれていました。初めてNHKで放送することになったのが秋だったので、プロデューサーか誰かが「春よ春よ」を「歌いながら」と変更させたという、私から見れば極めてつまらない理由でした。
映画を番組時間に収めるためにずたずたに縮めたりするように、放送時間やらスポンサー(やら圧力団体)の都合で作品の魅力を台無しにするという悪行を、未だにこの業界は続けていませんか? せめて必要なくなったら元の「春よ春よと」に戻してくれるくらいのことはして欲しいものです。

もちろん藍川さんは「春よ春よと」と歌ってくれていました。

( 2005.08.26 藤井宏行 )


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