Larry's Good Bye |
ラリーのお別れ |
Brave Larry went up to his darling, To bid her a speedy good bye, When bound where the cannon was snarling, The fortunes of battle to try. Sweet Norah,he said,don't be weeping, I soon will come back to your side With all your fond love in my keeping; And make you my beautiful bride,Norah, And make you my beautiful bride. A thousand times Larry did kiss her, Before he was willing to go, For now he just felt how he'd miss her, When fronting the ranks of the foe. My heart will be ever the same,dear, So Norah,he whisper'd,don't sigh I soon will have money and fame,dear; And then a nice farm we will buy,Norah, And then a nice farm we will buy. Fair Norah through tear-drops was blushing And spoke between sobbings and sighs, As backward her glossy curls pushing She timidly looked in his eyes. Dear Larry,you say that you're going To wed when you come from the war, I'm afraid you'll be killed,there's no knowing, Now could we not marry before,Larry-- Now could we not marry before? Now Larry,how could he refuse her, He say that he might as well wed For if he was killed he would lose her, So unto fair Norah he said: Mavourneen,it's truth you've been saying, And where there's a will there's a way. I see there's no use in delaying, I'll wed you this very same day,Norah! I'll wed you this very same day. |
勇敢なラリーが恋人のところにやってきた 彼女に短いさよならを言うために これから大砲が火を吹く戦場で 自分の運命を試すときが来たんだ 「可愛いノーラ、泣くのじゃない すぐに君のもとに帰ってくるから 君の愛を心の支えにして頑張るよ 君をきれいなぼくのお嫁さんにしたい、ノーラ 君をきれいなぼくのお嫁さんに」 ラリーは何千回とキスをした 行かなきゃいけなくなる前に これからは彼女なしで寂しい暮らし 敵の軍団とずっと睨み合いだ 「僕の心はずっと変らないよ だからノーラ、溜息をつかないで 戦場では名を上げて、お金を稼ぐさ そしたら素敵な農場を買おう、ノーラ 素敵な農場を」 かわいいノーラは涙ながらに顔を赤らめ すすり泣きながらこう言った 彼女のふくよかな巻き毛を寄せて おずおずと彼の目を見つめながら 「ラリー、行ってしまうのね 戻ってきたら結婚しようと言い残して でも戦争でもしものことがあったら、それは誰にも分からない だからその前に結婚できないかしら、ラリー だからその前に...」 ラリーに拒む理由はない もしこのまま結ばれずに 戦死してしまったらそれまでだ だからノーラにこう答えた 「恋人よ、君のいう通りだ その気になれば今でもできる 戻ってくるまで遅らすことはない 今すぐに君と結婚しよう、ノーラ 今すぐに君と...」 |
南北戦争の時代には「それが問題」や「馳せ参じます。大統領」のような極めて政治的な歌を書いた一方で、フォスターはこんな庶民の立場に立った歌も書いていました。
曲想はまるでモーツァルトのリートのように素朴極まりないものですので、一層悲しさが引き立ちます。日本でも日露戦争や日中戦争のさなか、田舎の純朴な恋人の間でこのような別れの光景があちこちで繰り広げられていたのでしょうか。
方言に詳しかったら、栃木か茨城あたりの言葉でオヨネーズの「麦畑」っぽく訳すとよりリアリティがあったような気もしますが(北関東を挙げたのに他意はありません)、私がそれをやるとすごく嫌味なものになりそうなので止めました。
きっとオハイオかウィスコンシンあたりの農村でのヒトコマなのでしょう。こんな人達が戦争へと駆り出され、そしてその多くは帰ってこれない...
いくら戦争に大義があっても、実際に戦うのはこのラリーのような純朴な若者であるということを忘れないようにしなくてはなりません。
最後の“Mavourneen”というのはアイルランド語で、恋人よ、といった意味なのだそうです。この戦争にはアイルランドからの移民がたくさん兵士として参加しましたので、そんなところを表しているのかも知れません。
日本では、戦争中には残念ながら「この非常時に色恋とは何事だ!」とばかりに、こんな歌がおおっぴらには作れなかった、というのが余裕がないというか生真面目というか、そんな雰囲気が今に至るまでも別なところであちこちに顔を出してくることには息苦しさを感じることもあります。今でも禁止コードとか自主検閲とか、ちょっと踏み外すことをするとすぐ叩かれたり、叩かれるかも知れないのがいやさに事なかれになったり...
そうはいいつつも日本でも戦場に行く若者たちは自分たちでこんな恋歌を作り歌っていた、というのはまた忘れてはならない事実ではあります。
「海軍小唄」や「可愛いスーちゃん」、「ダンチョネ節(特攻隊節)」なんて歌は、今や訳もわからず「軍歌」のジャンルに入れられてしまって忌避されているような感がありますが、実は若者たちの悲しい恋の歌。そう思って聴くと、実は太平洋戦争時代に愛唱された歌のかなりの部分が実はこれ以上ない反戦歌・厭戦歌としても聴けることが分かります。
お国のためとは いいながら
人の嫌がる 軍隊に
志願で出てくる 馬鹿もいる
可愛いスーちゃんと 泣き別れ
(可愛いスーちゃん 作詞者不詳)
60年代や70年代安保闘争の頃に「戦争を許すな〜」と色々歌われていても、その多くは平和な日本の中で当時の反体制のファッションで作られたような曲。むしろこんな戦時中に愛された歌をしっかりと残しておくことが戦争を風化させない上ではとても大事なことだと思うのですがいかがなものでしょうか。フォスターには他にも戦地での兄の安否を気遣う「その戦に兄はいました?」などの戦争に駆り出された人たちやその家族の側の気持ちを歌った戦時歌謡が多数あり、それらももっと掘り起こされて聴かれるようになると良いと思うのですが...
( 2005.03.10 藤井宏行 )