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If you want to die in bed.    
  Miss Saigon
もしベッドの上で死にたけりゃ  
     ミス・サイゴン

詩: モルトビー (Richard Eldridge Maltby Jr.,1937-) アメリカ  & ブーブリル (Alain Boublil,1941-) チュニジア
      

曲: シェ−ンベルグ,クロード-ミシェル (Claude Michel Schoenberg,1944-) フランス   歌詞言語: 英語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
もしベッドの上で死にたけりゃ
おれのようにするがいいさ
荷物をまとめて逃げ出すがいい
故郷なんかとっとと捨てて
アメリカに渡り、成功するのさ
自由の国ではみな平等に
チャンスだけは与えられているから

でも問題は、どうやってアメリカに行くかだ
そこに入るにゃ、ビザが要る...

(詞は大意です。以下解説にはネタばれがあるのでお嫌いな方は以下は読まない方が...)

「レ・ミゼラブル」に続くキャメロン・マッキントッシュ製作のロンドン発ミュージカル「ミス・サイゴン」。昨年は日本で12年振りに再演されて、松たか子さんなどの有名どころを主役にしたこともあってか結構な人気であったように聞いています。私はどうも日本語で歌われるミュージカルに抵抗がある上に、「ヘアー」や「トミー」あたりからの、ミュージカルにロックンロールのスタイルが入ってきたものは概して苦手なので結局見に行きませんでしたが(チケットも高いし上京するのは大変だし...)。

ただそんな中でも、このミュージカルには昔観たときのちょっとした忘れがたい思い出があるものですから、その話も絡めて取り上げてみることにしました。まさに今イラクでもこの物語のような不幸な形での出会いや別れが進行形で起きていることもありますので。

10年ほど前に私が赴任していましたカナダでは、トロントやヴァンクーバーには立派な劇場があって結構質の高いミュージカルをやっておりました。それもあって時々機会を作って聴きに行っていたのですが、そんな中でたまたま見たうちのひとつがこの「ミス・サイゴン」、96年の夏のヴァンクーバーでした。
普通ミュージカルというとヨーロッパ系の人のための娯楽という色あいが強く、劇場に黒人系やアジア人系のお客を大勢見かけることはまずありません。ところがこの「ミス・サイゴン」の時だけはなぜかまわりに東洋系のお客さん、しかもかなり年配の方がたくさんいて不思議だなあ、と初め思ったのです。ちょっと考えて思い当たりました。カナダ、特にヴァンクーバーのあるブリッティッシュ・コロンビア州はヴェトナムからの難民を大勢受け入れているところなのです。その人たちが見に来ていたのだと...

このミュージカルの見せ場に、サイゴンが陥落する夜、たくさんのアメリカに協力した南ヴェトナム人を見捨てて、実物大のヘリコプターがアメリカ兵だけを助けて飛び上がる、というシーンがあります。わずか20数年前にまさにそれと同じ体験をした人がどういう気持ちでこの舞台を見ていたのか、ということを思うと何かジーンとくるものがありました。

この舞台を展開させる狂言回しの役、アメリカの豊かさにあこがれてなんとか渡航しようともくろむ売春宿の経営者「エンジニア(ポン引き)」が、主人公キムとその息子と共にタイへの亡命を決心するところで歌われるこの歌も、その意味では彼らにとってはとても苦いものがあるはずです。(舞台ではこのあと、彼らがボートピープルとなって南シナ海に乗り出すシーンになります)

このミュージカル、人間の描写やドラマの伏線の作りは時代が新しい分良くできてはいますけれども、ストーリーは呆れるくらいプッチーニのオペラ「マダム・バタフライ」の焼き直し。ただ最近ミュージカルになった「アイーダ」のようにそのまんまではありませんので設定上の様々な工夫は興味深いです。バタフライでのアメリカ士官ピンカートンに対応するアメリカ兵クリスはただのノー天気な無責任男ではありませんし、チョーチョーさんが可愛そうと思っているだけで結局あまり目立たなかったアメリカ公使シャープレスの役どころ、クリスの上官で友人のジョンも行動的な見せ場のあるオイシイ役回りです。プッチーニでは結婚式を破壊にきただけのちょい役だった親類のボンゾにあたる主人公キムの幼馴染トゥイも彼女の運命の変転に重要な関わりを果たしますし、だいたい結婚仲介人ゴローの役回りを膨らませてほとんど主役とも言える重要な役エンジニアを創造しているのも面白いところ。
「マダム・バタフライ」をよくご存知の方はそんな側面からも楽しめます。そういえば第1幕の終わり、共産下のヴェトナムで出世した幼馴染トゥイが、キムの息子タム(父はアメリカ兵クリス)を刺し殺してキムを自分のものにしようとする時、彼女はトゥイを撃ち殺して息子を守りますが、ここで高鳴る音楽は蝶々さんのライトモティーフ(愛の2重唱やアリア「ある晴れた日に」のレシタティーヴォなどで耳にすることのできる旋律です)。このミュージカルでは息子タムのテーマとして使われているようですが、しかし何とまあここまでチョーチョーさんを意識した作りにしているのでしょうか...(他のナンバーにも時折チョーチョーさんの影がちらほら見えます)
もっとも私にはやはり聴きなじんだ「マダム・バタフライ」の音楽の陶酔感の方が好ましいです。音楽をロックコンサートのように大音響で鳴らすのもちょっと勘弁して欲しいですし、また最後の幕切れの悲劇も蝶々さんの方が緊迫感があるように感じました。物語の筋も主人公キムが死など選ばず、息子のためにしたたかに生き抜く決断をする、という終わり方の方がずっと良かったのではとさえ思います。20世紀には戦争で無為に人が死に(殺され)過ぎました。確かに自己犠牲による愛というのもアリですが、決して子供に与える愛はそればかりではない筈。

「ミス・サイゴン」、他にも日本の中で日本人だけによるキャストの公演を見るだけでは気付けない、舞台上演に絡む人種問題がいろいろ出てきてその側面からも興味深い作品です。オリジナルのロンドン公演ではヴェトナム戦争のアメリカ兵士役は白人ばかり。これにはあまりにもリアリティがなく酷いとアメリカから来た劇評家に批判されて、アメリカ公演の時は黒人兵役もたくさん出てきました。その余波もあってクリスの上官のジョンの役を黒人俳優がやることが増え、私の見たヴァンクーバーキャストでもそうでした。
もっと問題になったのはもうひとりの主役の「エンジニア」。プロデューサーのマッキントッシュは白人俳優ジョナサン・プライスを起用したいがために、この役をフランス系ヴェトナム人にしてしまいました。アメリカで上演するときにはこれをオリジナルのヴェトナム人に戻しアジア系の俳優にやらせるようにと、アジア系の俳優・劇作家たちの組合とかなりすったもんだがあり、危うく公演中止の危機にまで至ったのです(この辺の経緯や顛末は越智道雄著「アメリカが見えてくる」(サイマル出版会)に詳しく書かれています。カルト宗教や舞台・音楽などのサブカルチャーの側面からアメリカ文化を論じた大変面白い本で、私も海外赴任前に読んで大変勉強になりました)。
結局アメリカ公演もプライスによって演じられたのですが、扱うテーマが戦争に翻弄される人たちというだけでなく、こんな風にいろいろな意味で考えさせられることの多い作品ではあります。
そんな人種問題が実は未だに尾を引いているアメリカに、エンジニアが最後に高らかに歌った「アメリカン・ドリーム」は本当にあったのでしょうか???
そして21世紀にも世界の多くの人の憧れの国であり続けるのでしょうか???
日本のように、そんな人種問題に気付くことさえほとんどない、ほとんど無意識のうちにいろんな差別をしてしまっている閉じた世界よりは遥かにましなのかも知れないですが、もの凄く皮肉な問題をこの舞台作品は付きつけているところがあるのですね。
その意味では、今度アメリカに行ったらもう一度生の舞台で見てみたい作品ではあります。
(戦争中の今はアメリカでは多分上演できる雰囲気ではないでしょうけれども...いずれ)

私の手元にある音盤はオリジナルのロンドンキャスト。キム役はフィリピン出身のリア・サロンガ(可憐な歌声が役にぴったりです)、そしてエンジニア役は件のジョナサン・プライス。イギリスでは性格派俳優として知られた人だそうですので実にインパクトある歌声で聴かせてくれます。「レ・ミゼラブル」と同じ作曲者シェーンベルグの音楽はミュージカルの効果を知り尽くした手堅いもの。世界的にヒットしているのも頷ける印象的なナンバーが続き、苦手とは言いながらやっぱり音楽を聴くと聴き入ってしまいます。
日本公演版は市村正親のエンジニア、本田美奈子のキムによる92年日本初演のものがCD化されているようですが聴いたものかどうしようかな。訳詞が岩谷時子さんというのにはちょっと興味を引かれるものがありますが...

( 2005.01.21 藤井宏行 )


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