子守歌 日本民謡集第1集 |
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ねんねこころろこ ねんねこころろこや おらのめんこどさ 誰ぁかもた 誰もかまねたて ひとり来て ねんねこころろこ ねんねこころろこや おらのめんこうなど なして泣くの 泣けば犬コきて かじられる |
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森一夫(Ten)&寺嶋陸也(Pf)、そして波多野睦美(Sop)&野平一郎(Pf)による間宮芳生の日本民謡集(Fontec)は素晴らしいCDで、私も思い切り堪能させてもらいましたが、関定子&塚田佳男の録音の中にも、この間宮版日本民謡から4曲取り上げられていました。
Fontec盤では森さんの東北訛りも効かせた絶妙の歌声で聴かせてくれた「杓子売唄」や「南部牛追唄」もこちらでまた別の魅力を醸し出していてとても楽しいのですが、ここでは波多野さんとの競演が楽しめる「子守唄(秋田)」の方を。波多野さんの歌がしなやかな軽妙さと優しさにその味わいがあるとすれば、この関さんの歌はもっとしっとりと歌われ、この唄からにじみ出てくる悲しさがより強く感じられます。
波多野さんの唄が、おかあさんが自分の子供に向かって優しく歌いかける感じだとすれば、こちらは「五木の子守唄」のように親元を離れて子守り奉公に出された娘の悲しさをより強調した感じとでも言えましょうか。
日本の子守唄、「五木の子守唄」や「中国地方の子守唄」のように悲しい旋律のものが結構目立ちますが、この秋田県の「子守唄」はそんな感じが強くないのでそんな両方の解釈があるのかな、と感じます。調べてみると各地方にいろいろな唄があるようですが、これもどれだけの唄が暮らしに根ざした形で残っていることやら。私が子供の時に聞き覚えた歌もすでにレコードになっている「中国地方の子守唄」だったりしますし、そんな訳で自分の子供に聴かせられるのも自分の先祖から代々伝わっている子守唄ではない。これは良く考えてみると結構恐ろしいことのようにも思えてきます。
( 2005.01.12 藤井宏行 )