やんせやんせと |
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アァ シャンコセイ シャンコセイ やんせやんせと漕ぐのはブリキ ヨウホイ 引いて捕るのは ノウヤレ 鯛鰆 ヨウ アァ シャンコセイ シャンコセイ 監飽(しわく)七島 讃岐で八島(やしま) ヨウホイ 阿波で十九島(とくしま) ノウヤレ 二十五島 ヨウ アァ シャンコセイ シャンコセイ |
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日本歌曲の創造においては早すぎた天才、藤井清水(きよみ)もたくさんの民謡編曲を手がけているようです。同じ関&塚田コンビの藤井歌曲集のCD(Troika)でもいくつか民謡編曲が聴けましたが、そこではいずれもあまり有名でない民謡が取り上げられていました。それというのも彼が「既に天下に普及し花柳情緒によって色付けられスポイルされたものよりも、純朴な農民漁夫の生活の伴侶として余命を保っている一見取るに足らぬ民謡の中に「本当のもの」が隠れているように思われる。唄の有名無名は必ずしも価値の基準にはならない。(昭和5年・「日本民謡集(春秋社)」巻末解説より)」とあるように、暮らしの中で息づいている生々しい唄の中に高い価値を感じていたからこそでしょうか。ここではこの藤井清水歌曲集だけでなく、関さんの歌ったもうひとつのPhilipsにも収録されている民謡編曲集「郷愁」から岡山・白木島の船乗りたちによる労働歌の編曲を。これは肉体労働者が体を動かすの歌う歌ですから威勢の良さやリズム感が重要。こんなところにも彼女の至芸が聞かれます。
瀬戸内の波の上を、力を合わせて船を漕ぐ情景が思わず浮かんできました。考えてみればこんな労働歌が生活の中で息づくこともなくなって久しい昨今、日本の歌の伝統はどこかですぱっと切れてしまったのかも。私も地方の工場勤めですが、生産ラインについている労働者は黙々と働いていてとても21世紀に残る労働歌を生み出すという感じはないですし、それはコンビニやスーパーで働く第3次産業従事者でも同じことでしょう。こんな労働歌を生み出したような仕事が本当に楽しいものだったのかどうかは私には分かりませんが、それでも今の多くの日本の職場の中では、何かとても大切なものが失われてしまっているような気がしてまりません。
( 2005.01.12 藤井宏行 )