東京だョおっ母さん |
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久しぶりに手を引いて 親子で歩けるうれしさに 小さい頃が浮かんできますよ おっ母さん こゝがこゝが二重橋 記念の写真を撮りましょうね やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと 桜の下でさぞかし待つだろ おっ母さん あれがあれが九段坂 逢ったら泣くでしょ兄さんも さあさ着いた着きました 達者で長生きするように お参りしましょよ観音様です おっ母さん こゝがこゝが浅草よ お祭りみたいに賑やかね |
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先日亡くなった作曲家・船村徹の代表作のひとつ、昭和32年に島倉千代子が歌って大ヒットした歌です。今は知りませんが、昔は東京の観光バスでバスガイドが歌う定番だった歌のようで、私も子供の頃に地方から上京してきた祖父母と一緒にハトバスに乗った時にガイドさんが歌っていたという記憶がおぼろげにあります。今回歌詞を見て改めて気付いたのはこの歌にも戦争の影があるということ。昭和30年代初めといえばまだ戦没者の遺族や復員したばかりの軍人、戦争で体に障害を負ってしまった人々が町に溢れていた頃、外地に出征して帰ってこない息子を待ちわびる「岸壁の母」(昭和29年)などの歌がたくさん書かれ、人々に愛唱されていた時代でありました。この曲も東京に母を迎える主人公の兄は戦死して九段の靖国神社に祀られているのですね。A級戦犯合祀のために政治的に微妙な問題を抱えている靖国神社に触れた第2番は私が今まで耳にしたことのあるこの歌では歌うのを避けられることが多く、こういう歌詞があることを全く知りませんでした。もっともA級戦犯合祀で靖国が政治問題化したのはこの曲が書かれたよりずっと後の昭和50年代のことですので、その意味ではこの曲に取っては不幸なことでした。
この野村・船村コンビは翌昭和33年にはよりダイレクトに、戦死した父のお参りにひとり田舎から上京してくる少年を描いた「逢いに来ましたお父さん」を書いています。こちらも詞の著作権は切れていますので取り上げて見ることにしました。
( 2017.02.18 藤井宏行 )