Weep you no more,sad fountains Op.12-1 Seven Elizabethan Lyrics,Op. 12 |
もう泣くのはおやめ、悲しげな泉よ 7つのエリザベス朝抒情詩 |
Weep you no more,sad fountains; What need you flow so fast? Look how the snowy mountains Heaven's sun doth gently waste! But my sun's heavenly eyes View not your weeping, That now lies sleeping, Softly now,softly lies Sleeping. Sleep is a reconciling, A rest that peace begets; Doth not the sun rise smiling When fair at ev'n he sets? Rest you,then,rest,sad eyes! Melt not in weeping, While she lies sleeping, Softly now,softly lies Sleeping. |
もう泣くのはおやめ、悲しげな泉よ。 なにをそんなに急いで流れることがあろうか? 見るがいい、雪に覆われた山を 空の太陽がいかに穏やかに溶かしていくことか! だが、わが太陽の天空の瞳は おまえが泣くのを見はしない。 今はただ眠りにおちている。 今はそっと、そっと 眠り、眠りつづける。 眠りは和解。 平和が生みだす憩い。 太陽が微笑んで昇らないことがあろうか、 夕べに美しく沈むというのに。 おやすみ、おまえ、そして憩え、悲しい瞳よ! 泣き崩れなさるな、 彼女が眠りにおちている間は。 今はそっと、そっと 眠り、眠りつづける。 |
ロジャー・クィルターの歌曲に初めて接したのはエリー・アーメリングのリサイタル盤(ルドルフ・ヤンセンのピアノ)に含まれるこの曲だった。
この曲の前に同じ詩によるダウランドの曲が置かれていて、3世紀の隔たりを体感出来る粋な趣向だった。
ダウランドの方はDørumsgaardという20世紀の作曲家による編曲だが、旋律と和声の古色蒼然とした響きが美しく融合していた。ダウランドの「エアー第三集」(Third Book of Ayres)の中のこの詩は20世紀に少なくとも9人の作曲家によって付曲されるほどの人気曲だったようだ。
クィルターの曲は「7つのエリザベス朝抒情詩」(Seven Elizabethan Lyrics, Op. 12)(1908年)の第1曲目に置かれ、後に続く6曲とは趣の異なる、心にしみいる子守唄である。子守唄といっても眠りについた彼女の前で自らの心の荒波を鎮めようとしている内容で、空の太陽は山を覆う雪をやさしく溶かしてくれるが、私の愛する太陽(恋人)は泉たるわが瞳に目もくれず、ひたすら眠り続ける。眠りは和解をもたらす平和の使者なので、目が覚めたら「わが太陽」である恋人も微笑みかけてくれるだろうと切なく心に言い聞かせる。
アーメリング&ヤンセン(1983年:PHILIPS)は暗めの音色ながら温かい血の気も通わせながら、聴き手の心の琴線をやさしく触れてくれる。特に各節最後の2行の絞りに絞った声の美しさは恍惚とさせられる。
ジョン・マーク・エインズリー&マルコム・マーティノー(1996年:Hyperion)は、クィルター歌曲39曲を集めたもので、まとまった歌曲集と個々の歌曲がバランスよく収録されていて、この美しいメロディーと和声が特徴の作曲家の世界を味わうのに適したアルバムである。エインズリーは清潔、丁寧な歌いぶりで、メロディーラインの美しさがはっきりと伝わってくる名唱である。マーティノー(イギリス人なので、普段見られる「マルティノー」よりもこちらの表記の方がいいのでは)はアルバム全体を通して透きとおった磨かれた音色でスマートな演奏を聴かせてくれる。
トマス・アレン&ジェフリー・パーソンズ(1989年:Virgin)の演奏は、ヴォーン=ウィリアムズやバタワースなども入ったイギリス歌曲アンソロジーの中に入っている。悠然としたテンポで骨太な歌唱である。あたたかい包容力が魅力だろう。パーソンズの豊かな光沢にあふれた響きは、アルバムを通して聴き物である。
( 2004.10.24 フランツ・ペーター )