TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


My grandfather's clock    
 
おじいさんの時計  
    

詩: ワーク (Henry Clay Work,1832-1884) アメリカ
      

曲: ワーク (Henry Clay Work,1832-1884) アメリカ   歌詞言語: 英語


My grandfather's clock was to large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor;
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a pennyweight more.

It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.
But it stopp'd short,Never to go again,
When the old man died..

(Chorus)
Ninety years without slumbering
Tick,tock,tick,tock,
His life seconds numbering,
Tick,tock,tick,tock
It stopp'd short,Never to go again
When the old man died.


In watching its pendulum swing to and fro,
Many hours had he spent while a boy;
And in childhood and manhood the clock seemed to know,
And to share both his grief and his joy.

For it struck twenty-four when he entered the door,
With a blooming and beautiful bride.
But it stopp'd short,Never to go again,
When the old man died..

(Chorus)


My grandfather said,that of those he could hire,
Not a servant so faithful he found:
For it wasted no time,and had but one desire,
At the close of each week to be wound.

And it kept in its place,not a frown upon its face,
And its hands never hung by its side;
But it stopp'd short,Never to go again,
When the old man died..

(Chorus)


It rang an alarm in the dead of the night,
And alarm that for years had been dumb;
And we know that his spirit was pluming its flight,
That his hour of departure had come.

Still the clock kept the time,with a soft muffled chime,
As we silently stood by his side;
But it stopp'd short,Never to go again,
When the old man died..

(Chorus)
ぼくのおじいさんの時計は棚に置くには大きすぎた
だから90年、ずっと床の上に座ってたんだ
その背丈はおじいさんよりちょうど丈半分高かったけれど
重さはおじいさんと1ペニー硬貨ほども違わなかった

おじいさんが生まれたその朝に買われてきて
それからずっと、おじいさんの宝物であり、誇りだった
でも今はもう止まって、二度と動くことはない
おじいさんが死んでしまったから

(合唱)
90年間居眠りもせず、
チック、チック、チック、チック
おじいさんの人生の時を刻みながら、
チック、チック、チック、チック
でも今はもう止まって、二度と動くことはない
おじいさんが死んでしまったから


振り子が行ったり来たりするのを見つめながら
おじいさんは長い少年時代を過ごしたんだ
子供のときも、大人になってからも、時計は何でも知っているようだった
喜びも悲しみも、みんな分けあった

おじいさんが、きれいな花嫁さんと一緒に部屋に入ったときは
時計は24回もお祝いの鐘をならしたんだ
でも今はもう止まって、二度と動くことはない
おじいさんが死んでしまったから

(合唱)


おじいさんは「奉公人を雇うならこの時計だね」と言っていた
どんな召使でもこんなに忠実ではないからさ
時間を無駄遣いしないし、たったひとつのことしか求めない
それは毎週末にネジを巻くことだ

いつも分をわきまえているし、しかめ面もしない
決して手を休めたりしない
でも今はもう止まって、二度と動くことはない
おじいさんが死んでしまったから

(合唱)


死んだように静かな夜に時計の鐘がなった
その鐘はもう長いこと鳴っていなかったのに
それでぼくらは知った。おじいさんの魂は天に昇る支度をして
旅立つ時がやってきたことを

時計はしばらく時を刻み、くぐもったチャイムの音を鳴らしていた
おじいさんのまわりでぼくらが見守っていた間はね
でも今はもう止まって、二度と動くことはない
おじいさんが死んでしまったから

(合唱)


最初は1962年のNHK「みんなのうた」で立川清登さんの暖かいバリトンの歌声で広く紹介され、2002年には平井堅さんのヴォーカルでカヴァーされて一大リヴァイバルの「大きな古時計」ですが、調べてみるとかなり古い歌なのですね。
作詞&作曲のH.C.ワークは1832年の生まれですからフォスターと6歳しか違わず、そういうつもりで聴くと確かに古き良きアメリカの歌という感じもします。日本だけでなく本国アメリカでもきちんと歌い継がれている曲でもあり、面白いのは結構カントリー&ウエスタンスタイルの編曲が多いことです。
もしかすると平井堅さんのようにしみじみ歌うのが本来のスタイルではなく、そんな感じで歌うのがオリジナルなのかも...

ほとんど同年代のW.S.ヘイスによる作品「いとしのモーリー」を聴いたときにも感じたことですが、ソロとコーラスの掛け合いは、フォスターの「おお、スザンナ」みたいなスタイルが当時のアメリカンポップスの典型だったのでしょうか。調べたどの曲もこのスタイル。それと詞がきれいに韻を踏んでいることも面白いところです。

この歌も歌える訳詞に挑戦しようと初めは思ったのですが、世の中に知られている保富康午氏の訳詞があまりに素晴らしく良くできているので、屋上屋を重ねるのも意味がないと思って断念。直訳に近い形で原詩を読み解いてみました。
日本語版では完全に省略された3番の歌詞以外は、保富氏の訳詞が簡にして明瞭にすべての要素を拾っているので、あまり直訳してみても驚くところはないです。原詩ではおじいさんは100歳でなく90歳で死んだんだよ、っていうこともトリビアの泉的にはありますが、それよりも保富氏が「おおきなのっぽの古時計 おじいさんの時計 100年いつも動いていた ご自慢の時計さ」で原詞冒頭の2節を見事に表現しているところとか、「いまは もう動かない」と3番のおじいさんの臨終のシーンまでおじいさんが亡くなったということを明らかにしていないところなどの見事さを私の下手な直訳と比較しながら味わってみて頂ければ幸いです。
曲の魅力もさることながら、素敵な訳詞によって残る歌というのもあるのだなあ、と実感します。

( 2004.10.24 藤井宏行 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ