So I have fared Op.15-5 Earth and Air and Rain |
こうして私はやり過ごして来た 大地と大気そして雨 |
Simple was I and was young; Kept no gallant tryst,I; Even from good words held my tongue, Quoniam Tu fecisti! Through my youth I stirred me not, High adventure missed I, Left the shining shrines unsought; Yet - me deduxisti! At my start by Helicon Love-lore little wist I, Worldly less; but footed on; Why? Me suscepisti! When I failed at fervid rhymes, “Shall”,I said,”persist I?” “Dies” (I would add at times) “Meos posuisti!” So I have fared through many suns; Sadly little grist I Bring my mill,or any one's, Domine,Tu scisti! And at dead of night I call; “Though to prophets list I, Which hath understood at all? Yea: Quem elegisti?” |
私は単純で そして若かった 軽薄なデートの約束なんて絶対しなかったし 普通の誉め言葉でさえ 私の舌は発しなかった 汝のために為されたものなり! 若い時は自分を駆り立てることなく 高貴な冒険もし損ねた 輝く神殿を探すことなく過ごした だが - 我を導き給え! 私の出発において ヘリコンのもとでの 愛の知識はほとんど持たなかった 世間知ももっと僅かだった だが足を踏み出したのだ どうしてかって? 我は護られたり! 私がしくじった時 熱い詩作に 「このまま」私は言った「続けるのか?」 「日々を」(私はしばしば付け加えた) 「我にお定め下さったが故!」と こうして私はやり過ごして来た 数多くの太陽を 悲しいことにごく僅かな収穫しか 持って来れなかった 私の碾き臼にも 他の誰かのものにも 主よ 御身は知り給えり! そして夜の死のもと 私は呼びかける 「預言者たちに耳傾けるにしても 誰が一体理解しているのですか? そう:誰をお選びになるのですか?」 |
私がまさにこんなタイプの若者だったので、とてもこの詩は共感できます。ほのかなユーモアを湛えながら淡々と歌われて行く愛らしい一品。詩の中に織り込まれたラテン語は詩の原題にある通り聖書の詩篇39〜40章にあるフレーズです。
( 2016.12.03 藤井宏行 )