TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


He Ri Jun Zai Lai    
 
何日君再来(ホーリーチンツァイライ)  
    

詩: 黄嘉謨 (Huang Jiamo,1919-2004) 中国
      

曲: 劉雪庵 (Liu Xiu-an,1905-1985) 中国   歌詞言語: 中国語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
いつも花が咲くときばかりではないし
いつも楽しいときばかりではない
悲しくても笑みは絶やさず
涙あふれて思いを伝える
今宵別れたら
今度君はいつ帰る
さあ、杯をあけて
ごちそうを食べて
人生でどれだけ一緒に酔える機会があるのか
だから心置きなく楽しもうではないか
「さあさあ、ぐいっと飲み干して語り明かそう」
今宵別れたら
今度君はいつ帰る
     (1番のみ簡単に意訳しました)


以前私はこの曲を服部良一さんの項で「蘇州夜曲」と並ぶ東アジア屈指のラブソング、と評しましたが、それはこの曲の長田恒雄氏による日本語の詞が、別れた恋人を思ってひとりつぶやくシチュエーションの歌だったからです。
今回原曲の中国語詞をよくよく見てなんとビックリ。この曲、友を送る酒盛りの歌だったのですね。なんか転勤する同僚を送る送別の飲み会のような感じでとても面白く読めました。
今回は訳せませんでしたが、3番には「酔いつぶれて徘徊しないで」なんてフレーズもあって強烈です。しかも上で「さあさあ、飲み干して」の部分(日本語詞をご存知の方は「ああ、いとしの君」と歌われる部分です)はなんと歌ではなくてセリフで入るんですね。
甘く切ない日本語のラブソングのスタイルで聴きなじんだ耳にはすごく奇異に聞こえましたけれど...

でも、この歌、実は数奇な運命をたどった不幸な歴史を持つ歌だったのです。大戦中も日中両国の官憲から目の敵にされ、そして大陸に共産党政権ができた後、台湾の歌手、テレサ・テンの歌うこの歌は国民党軍の反攻のための宣伝として、あるいは風紀を乱す歌であるとして大陸ではこれもまた聴くことを禁じられていたのだそうです。

確かに「忘れられないあの面影よ」とかいうラブソングであったならそんなに目くじらを立てられることもなかったのでしょうけれども、わけあって去らなければならない同志に、「おまえ、いつ帰る?」と問いかける歌ということになると少々不穏な匂いを勘ぐる人は勘ぐってしまうのでしょうね。原詩を読んで初めて気づいたこの事実...
中薗英助氏の著書「何日君再来物語」では、このタイトルの「君」の字の発音junが、「軍」と同じで、「わが軍はいつ反攻してくるのか?」の隠喩とも読まれた、といような説も紹介しているのだそうです。
また弾圧された歴史もあってか、作詞・作曲者の名前も長く不明であったのだとか、確かにさまざまな作詞・作曲者がクレジットされている曲でもあり、冒頭に挙げた人たちも実は違っているかも知れません。
(原典にあたっていませんので間違いはご容赦ください)

日本人はよほど、歌謡曲というと恋の歌にしてしまうのが好きなのか、戦時中に日本に連れていかれた兄弟を思って歌う「釜山港に帰れ」なんかも去ってしまった恋人を思う歌にしてしまっていますが、まあそれは和歌の時代からの伝統なのかも(根拠はないです。でも漢詩とちがって和歌にはあまり政治的などろどろした題材は取り上げられないですよね)。
でもこの歌はメロディの美しさといい、恋歌に化けても一級品の魅力です。というよりも「夜来香」では感じた違和感が全くない自然な日本語の詞と曲の情感との調和が、私にとっては「蘇州夜曲」とならぶアジアン・ラブソング屈指の名曲に思わせてくれるのです。

五郎部俊朗さんの甘いハイテナーで聴くこの曲は実に素敵な味わい。彼の「歌は美しかったV」(Denon)の中でも「春の唄」と並び1、2を争う魅力的な出来映えの歌を聴かせてくれます。日本語で歌われるこの歌の中では、渡辺はま子さんや山口淑子さんの歌う1940年代のオリジナルをも超えて私には一番素敵でした。
ポップス系の人がアレンジしたのもいろいろ聴きましたが、「夜来香」と違ってこの曲は変にいじると素敵な味わいが壊れてしまうような気がします。
中では沖縄のヴォイスカルテット、ねーねーずの「夏・うずりん」の中で、琉球言葉で歌われているのが何とも不思議な異国情緒を感じさせて面白く聴 けましたが。

オリジナルの中国語版ではぜひ初演者の周旋(正しくはこの「旋」、王偏が付きますがフォントがない)さんの歌を聴いてみたいところです。
入手が容易でやはり素晴らしいのはテレサ・テンさんの歌。禁止されてもひそかに闇で手に入れたカセットテープでこの歌を聴いていた30年前の中国本土の人たちは、どんな気持ちでこの歌を味わったのでしょうか。
(2004.08.28)


最初の記事からわずか3年ほどなのですが、ネットで情報を集めることは飛躍的に容易になって参りました。
特に中国のコンテンツの爆発的な増加はものすごいということを今回体感しました。Unicodeのおかげで変換の手間なく中国語サイトが見られるようになったのも素晴らしいことですね。昔は文字化けして何がなにやらわからなかったのですが。
また日本のサイトでもブログの隆盛からでしょうか、本などからの単純な孫引きが多いのがちょっと難点ですが(元が間違った情報だと間違いが増殖するのです。まあこれはあまり人のことは言えないのですが)相当多くの情報をこの曲や作詞・作曲者についても集めることができました。

それらを総合しますと、まず作曲者についてはこの劉雪庵で間違いないようです。この人のペンネームが晏如であり、その名でこの曲を発表したために現在でも作曲者名にこれがクレジットされることもあるのですね。
彼は四川の生まれで、1930年より上海で音楽を学んでからその後作曲家・教育者となられた人。この「何日君再来」は1936年だとのことです。
もともとはメロディだけだったようですが、「三星伴月」という映画の挿入歌として使うために脚本の黄嘉謨があとから詞を付けました。この黄のペンネームが貝林であったことからこちらもこの名がクレジットされることもよくあり、そのあたりが混乱のもとであったようです。もっとも1957年からの中国の反右派闘争で作曲者の劉は迫害され、1980年から歌いだした台湾出身の歌手テレサ・テン(ケ麗君)のこの歌は資本主義的・帝国主義的だとして中国本土では聴くのが禁じられていた、というのも事実であったようです。

( 2007.04.13 藤井宏行 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ