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Te recuerdo Amanda    
 
アマンダの思い出  
    

詩: ハラ (Victor Jara,1938-1973) チリ
      

曲: ハラ (Victor Jara,1938-1973) チリ   歌詞言語: スペイン語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
アマンダは工場の休み時間
愛しいマニュエルに5分間だけあうために
走ってやってくる
許されたその5分が彼女をとても輝かせるのだ

でも、その彼は
鉱山での作業に送られ、たった5分間のうちに
事故で命を奪われた


思い出すよアマンダ
マニュエルの工場まで
走っていくお前を

(詞は大意です)


柳貞子さんのCD「アモール・イ・パズ」で私が一番感動したのは実は別項でご紹介したグアスタヴィーノでもポンセでも、はたまたアルフォンシーナと海でもなく、30年前のチリのフォークシンガーヴィクトル・ハラの書いたこの曲です。

小椋佳やみなみらんぼうを思わせる淡々とした3拍子のメロディ、愛情に満ちた語りのようなその歌(本人の歌はオーマガトキレーベルにある録音で聴けます。ほんとに訥々と歌うやさしい歌声です)。でもその詞の内容はとても悲劇的な恋人との別れを歌っています。
働く若者たちの束の間の素敵な時間、それすらも長くは続かない。
強制的に送られた鉱山で、彼は多くの仲間と共に命を奪われてしまいます。
それでも嘆き悲しむ表情を見せることなく、淡々と流れる旋律。私もスペイン語が聴いて理解できるほど堪能だったらきっと虜になってしまうであろうような歌です。

歌手のヴィクトル・ハラは、1960〜70年代に活躍したチリのフォークシンガー。当時は世界的にプロテストソングが流行った時期で
日本でいえば岡林信康さんなんかにあたるスタンスの人なのでしょうか。
彼の悲劇は、生まれた国が日本のように平和で満ち足りた国ではなかったこと。
富裕層の腐敗と横暴を打ち破るために、チリにアジェンデ大統領率いる南米初の社会主義政権が生まれたのは1970年、それを支える「新しい歌」ムーブメントの中心人物がこのハラでした。ご存知のように1973年、急進的な国有化政策への危機感や共産主義に反発するアメリカの後押しを受けたピノチェト将軍によるクーデターが起き、政権は瓦解します。まさにこの日9月11日、7000人の政権支持の人々と共にスタジアムに閉じ込められたハラは、軍の制止を振り切って民衆を鼓舞する歌を歌い、そして虐殺されます。わずか34歳の若さでした。

  http://homepage2.nifty.com/kajipon/kt/retu68.htm


そんな背景があることを知らずに聴いても実に素敵な歌です。
柳貞子さんの録音では、やはり伴奏のとても暖かいギターの音が非常に良く生きてとても魅力的。
許されることなら、この歌も日本語で歌える詞を作ってみたい衝動に駆られます。著作権というやつも何とかならないものでしょうかねえ...


ローレンス・レッシグの「Free Culture」(翔泳社)を読むと、自由な創造性発揮のためには著作権はあまり強大になるべきではないと論じられています。
あまりに強い著作権は、既得権者の権益だけをどんどん拡大し、そして若い次世代のクリエーターの創造の余地をどんどん奪っていく...

http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/freeannotation.htm

自由な世界を求め、既得権者の横暴を憎んだハラですからこの本の精神はよく理解し、きっと許してくれそうな気はします。
(でもレコード会社やJASRACはたぶん許してくれないような気がしますが...
 しかし歌詞をそのまま載せるのは問題なのはよく分かりますが、著作隣接権である「翻訳権」や「翻案権」の取り扱いは分からないことだらけ!)

( 2004.09.11 藤井宏行 )


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