天業恢弘 海道東征 |
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神坐しき、蒼雲の上に高く、 高千穂や?觸峯。 遥かなりその肇国、 窮みなし天つみ業、 いざ仰げ大御言を、 畏きや清の御鏡。 国ありき、綿津見の潮と稚く、 光宅らし、四方の中央。 遥かなりその国生、 かぎりなし天つ日嗣、 いざ継がせ言依さすもの、 勾玉とにほひ綴らせ。 道ありき、古もかくぞ響きて、 つらぬくや、この天地。 遥かなりその神性、 おぎろなしみ剣よ太刀、 いざ討たせまつろはぬもの、 ひたに討ち、しかも和せや。 雲蒼し、神さぶと弥とこしへ、 照り美し我が山河。 遥かなりその国柄、 動ぎなし底つ磐根、 いざ起たせ天皇、 神倭磐余彦命。 神と坐す大御稜威高領らせば、 八紘一つ宇とぞ。 遥かなりその肇国、 涯もなし天つみ業、 いざ領らせ大和ここに、 雄たけびぞ、弥栄を我等。 |
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神武天皇の東征伝説。白肩之津からの侵攻を断念した一行は紀伊半島を回り熊野から上陸して大和に攻め入ったことになっておりますが、このカンタータではそのくだりは省略されて一足飛びに天皇が橿原宮で即位したシーンへと移ります。明治期にその日は紀元前660年の2月11日とされ、1940年のその日がちょうど2600年目にあたるというのがこの祝典のいわれというわけです。冒頭厳粛に歌いだすバリトンのソロと合唱は天照大神から天孫降臨時に授けられたという鏡・勾玉・太刀の三種の神器のことを歌います。後半はテノールのソロから天皇の即位の情景が歌われ、合唱と共に大きなクライマックスを作って終わります。
以上8章からなるこの作品、今回1941年録音の東京音楽学校による木下保指揮のSP復刻盤で初めてじっくりと聴きました。ところどころ意欲的な響きや表現の面白さはありましたが、私にはこの作品、白秋と信時の表現意欲が空回りしているような印象で、それほどの傑作とは思えませんでした。信時の音楽もまだ西洋音楽と日本の伝統音楽との融合をうまく処理しきれていないようです。一部保守系メディアで今年の公演が大絶賛されておりましたが(主催者の一角なので当然のところもあるのでしょうが)、確かに今までイデオロギー的なものもあって封印されていた側面はあるにしても、では封印された大傑作だからこれからは大々的に復権すべきかというとちょっとそれは違うのではないかと思った次第。Net上でも北九州で1969年に(ピアノ伴奏ですが)初演した木下保の指揮で演奏された録音が充実した解説つきで読めるサイトなどがありましたので偏見を持たずにお聞き頂けばと思います。
( 2015.11.28 藤井宏行 )