秋の夜 戯曲「飢渇」より |
|
しづかに照らす月かげに あはれなきよる蟲の聲 しづかに更くる秋の夜の さびしささそふ蟲の聲 |
|
耕筰作曲の童謡にも同じタイトルのものがあり紛らわしいですが、こちらの長田詞の歌の方がポピュラーでよく演奏されるのではないかと思われます。
長田秀雄(ながたひでお 1885-1959)は詩人・小説家ですが、この歌詞は1916年に上演された戯曲「飢渇」の劇中歌として書かれたものです。
作家の著作権が既に切れておりますので、この戯曲は国会図書館のデジタルライブラリーでオンラインで読むことができます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906682
お話は日露戦争から負傷して帰ってきた退役中尉の秋山貞俊が主人公、若くして体が自由に動かない身となってしまった彼は世を斜に構えて眺めておりますが、そんな彼の前に現れた美しい従妹のきくゑ、彼は彼女に惹かれますが健常者である弟の貞二郎と恋の三角関係となり、弟を追い出すものの疑心の塊となって苦悩します。
そのきくゑが第2幕、ひとりで歌う劇中歌がこの曲です。もっとも舞台上の設定は「もう八月に近い美しい夏の宵である」とあり、決して秋ではないのですが。
月は十七夜、蛍なども出て来てまだ枯れて寂しい秋の夜とは全くいえない情景です。しかし登場する人たちの会話は人生の秋を感じさせるようなものばかり。そこにひとり佇むきくゑが澄んだ美しい声で歌うのです。
戯曲中では2番までありますが、この2番を耕筰のメロディで歌うのはちょっと語調が悪いですし、楽譜にも2番は記されておりませんのでたぶん上に書きましたところしか歌われてはいないのだと思います。ただせっかくオリジナルの戯曲が見れましたのでそこに長田の書いた歌詞を以下に書き写しましょう。
静(しづか)に照らす月影に
あはれ、鳴きよる虫のこゑ
静にふくる秋の夜の
淋しささそふ虫のこゑ。
聲ほそぼそと、きこゆれば
何故か、心の暗(やみ)ふかく
人なづかしさ、悲しさの
せつなき思(おもひ)、身にぞしむ。
春秋社の楽譜に記載されている長田自身の回想によれば
「その時、歌を唱ふ娘に扮したのは、宮部静子と云ふ女優であつた。細いすきとほるやうな声の持ち主であつたが、当時ドイツから帰つたばかりの山田氏としては、非常に日本的なメロデーをもつた作曲であつたので、舞台の上では非常な効果はあつたのである」とあります。高い澄んだ歌声で聴くとしみじみとさせられます。
Youtubeの投稿はあまりご紹介しない方針なのですが、この歌をリサイタルで歌っているテノールの本田武久さんの軽やかな高声に聴き入ってしまいました。病のために41歳の若さでつい先年亡くなられてしまった方ですが、一連の武満作品はじめ心震わせる歌声をネット上で堪能させて頂きました。
たとえ若くして亡くなったにしても、こんな風に自分の生きた証を残し、そして生き残っている者に時を超えて感動を与えてくれるというのは本当に素晴らしいことです。
( 2015.10.01 藤井宏行 )