曼珠沙華(ひがんばな) AIYANの歌 |
|
GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、 赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、 曼珠沙華(ひがんばな)、 けふも手折りに來たわいな。 GONSHAN. GONSHAN. 何本か、 地には七本、血のやうに、 血のやうに、 ちやうど、あの兒の年の數。 GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、 ひとつ摘んでも、日は眞晝、 日は眞晝、 ひとつあとからまたひらく。 GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ、 何時まで取っても曼珠沙華(ひがんばな)、 曼珠沙華、 恐や、赤しや、まだ七つ。 |
|
子供を亡くして発狂した母親がヒガンバナを摘みにくるという、能の「隅田川」のような凄絶な光景を描いた歌という説もありますが(米良美一さんはそういう解釈で歌っているようです)、藍川由美さんの山田耕筰歌曲集のライナーでは白秋の文章を引用しつつ、もう少し複雑な解釈を彼女自身が書いてくれています。
以下に彼女の引用した白秋の文(この詩の載っている詩集「思ひ出」の序「わが生ひたち」より)をそのまま転記しますと、
美くしい小さな Gonshan.忘れもせぬ七歳(ななつ)の日の水祭(みづまつり)に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻(はにかみ)に滿ちた幼い心臟は紅玉(ルビイ)入の小さな時計でも懷中(ふところ)に匿(かく)してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。
巡禮に出る習慣は別に宗教上の深い信仰からでもなく、單にお嫁め入りの資格としてどんな良家の娘にも必要であつた。
これを受けて彼女は、白秋の恋とも恐怖ともつかぬ白昼夢としてこの詩を解釈しています。白秋の乳母が彼のチフスがうつって病死したことなども恐ろしい思い出としてこの詩の中に織り込まれているとも...
GONSHAN(ごんしゃん)とは柳川の方言で「良家のお嬢さん」これを幼女とみるか、子供を産んだ母親とみるかで解釈が違ってくるというところでしょうか。
私のこの曲を聴いてのイメージは、子供の頃に病気で高熱を出して頭がぼんやりとしている時に見る白昼夢というもので、ヒガンバナの真っ赤な色と、日は真昼と言いながら何故か白っぽく霞んでいる背景との強烈なコントラストの中に、浴衣を着た幽霊みたいな女の子が悲しげに立っているといった感じです。その意味では藍川さんの言っておられる解釈に近いでしょうか。
解釈はどうあれ、山田耕筰の数ある名曲中でも屈指の作品ということで録音も非常に多いです。
前述の米良さんのCD(BIS)は、これを聴いたスウェーデンのレコード会社BISの社長が感動して録音したといういわくつきのものですが、私の持つイメージとはかなりかけ離れた解釈なので私には今ひとつでした。子供を亡くした悲しみや絶望を聴くのであればこの解釈なのかも知れませんが。
藍川由美さんのもちょっと理知的過ぎてこの曲にはしっくり来ませんでした。
私の持つ、病気の日の昼寝の白昼夢というイメージにピッタリなのは、意外なことにこれも鮫島有美子さんの録音でありました。ストレートな感情の爆発と、これまた爆発するヘルムート・ドイチュの伴奏、あまり深読みせずに詩の雰囲気をそのまま出したのが彼女の勝利でしょう。
他にも多くの歌手が録音していますが、日本歌曲の常でなかなか手に入らないのが難点です。
( 2000.08.15 藤井宏行 )