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Knoxville,Summer of 1915   Op.24  
 
ノックスヴィル:1915年の夏  
    

詩: エイジー (James Rufus Agee ,1909-1955) アメリカ
      

曲: バーバー (Samuel Barber,1910-1981) アメリカ   歌詞言語: 英語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
人々が家のポーチのいすの上でゆれながら静かに話しをしたり、町を眺めている
そんな夕方が来た。人々や馬車、自動車が通り過ぎる。人々の持っている食べ物の発するいい匂いや話し声が伝わってくる。市街電車が通り過ぎてさまざまの音を立てる。

そして、夜は「青い露」のように全てのものに降りてくる。
父さんが芝生に水をやった後ホースを巻いている。
芝生の隅では、消えかけの弱い火が燃えている。
父さん、母さんはポーチのチェアーの上でゆれている。
湿った紐に朝顔の花が垂れ下がっている。
乾いてかん高いセミの声があたりに響き渡る。
裏庭の草の上にキルトをひいて、私たち、父、母、叔父、叔母と僕はその上に横になる。話の内容は分からないけれど、大人たちの静かな声が聞こえている。父さん、母さんは僕にやさしい。偶然に彼らはここ、地球上にいて、存在することの悲しみを語ってくれているのだ。夏の夕方、草の上でキルトの上に横たわって、夜の音をききながら。
神様、僕のこの人たちに祝福を下さい。又この人たちが困った時やこの世を去る時に忘れないで助けてくれるようにお願いします。しばらくすると僕はベッドへ連れて行かれる。眠りなさい、やさしい笑顔、僕は母さんに寄り添う。そしてこの家の中で、僕をとても愛し受け入れてくれる人たち。
でもみんなは僕が何者かいってくれはしなかった、永久に言ってはくれなかった。

   (長い散文の詩ですので要約とします)

これはテネシー州の小都市ノックスビル(メンフィスの近郊)での子供の頃の思い出を語ったジェイムズ・エイジーの散文詩(A death in the familyという題の本にある)にバーバーが音楽をつけた曲です。オーケストラの伴奏付きで、カントルーブの「オーヴェルニュの歌」の影響も少し感じられる。(といっても、あの和声や音色がこの曲にある訳ではありません)
この曲名曲か、といわれると考えてしまうのですが(わざと子供の歌であることからシンプルな感じを強く出しているのでしょうが、市街電車が通り過ぎる所の素朴な音の描写にはちょっと違和感があります)。子供時代夏の夕方、家族と一緒に暮れていく外を見ながら幸福なひとときを持ったことのある人にとっては心に触れる、忘れがたい曲です。
最近では、米国を代表する2人のリリックソプラノ、ドーン・アップショウ(伴奏はデヴィッド・ジンマン、オケはセント・ルーク室内管弦楽団、Nonsuch)とキャスリーン・バトル(伴奏はアンドレ・プレヴィン、オケは同じ,DG)のCDがあります。バトルのは、プレヴィンの仕上げがさすがに丁寧でオケはバランスがよく(録音もよい)聴き栄えがします。しかしバトルの粘りのあるあの独特の美声と歌いまわしがこの曲では引っかかる。女ではなく子供が歌っていることになっているのですから。従ってアップショウを私は取ります。これも例の中性的な美声でとてもよい。古い録音では、この曲をコミッションしたエレノア・スティーバーの録音もあるようです(未聴、ソニーの輸入盤で出ていたが今は廃盤らしい)。

( 1998.09.02 稲傘武雄 )


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