When Will My May Come Op.44-9 Spring Symphony |
いつ私の五月はやってくるのか 春の交響曲 |
When will my May come,that I may embrace thee? When will the hour be of my soules joying? If thou wilt come and dwell with me at home; My sheepcote shall be strowed with new green rushes; We’ll haunt the trembling prickets as they roam About the fields,along the hawthorn bushes; I have a piebald cur to hunt the hare: So we will live with dainty forest fare. And when it pleaseth thee to walk abroad, (Abroad into the fields to take fresh aire:) The meads with Flora’s treasures shall be strowed, (The mantled meadows and the fields so fair.) And by a silver well (with golden sands) I’ll sit me down,and wash thine iv’ry hands. But if thou wilt not pitie my complaint, My tears,nor vowes,nor oathes,made to thy Beautie: What shall I do? But languish,die,or faint, Since thou doth scorne my tears,and soule’s duetie: And tears contemned,vowes,and oathes must fail: For when tears cannot,nothing can prevaile. |
いつ私の五月はやってくるのか、私がお前を抱くことのできる時が? いつ私の魂の喜びの時はやってくるのか? もしもお前が来て、私と一緒に住んでくれるなら; 私のヒツジ小屋には新しい緑のイグサを敷き詰めてあげるのに; 私たちは震える雄ジカたちについて行こう 彼らが歩き回るのを 野原のあたりを サンザシの茂みに沿って 私はノウサギを狩るぶちの猟犬を持っている だから私たちは美味な森のごちそうを食べて暮らせるのだ そしてこうして歩き回ることがお前を喜ばせるならば (野原に新鮮な空気を呼吸しに) 牧場はフローラの宝物でいっぱいだ (花で覆われた牧場や野原はとてもきれいだ) それから銀の泉(黄金の砂のある)のそばに 私は腰を下ろし そしてお前の象牙の手を洗うだろう けれどもしもお前が私の訴えを憐れんでくれぬなら 私の涙を、願いを そしてお前の美しさにかけた誓いを 私は何をすればいいのだろう?ただ苦悩し 死し 倒れるだけだ お前は私の涙を蔑む そしてこの魂の責務を 涙は軽んじられ 願いと誓いは失われる 涙ができないのならば 何者も打ち勝つことはできないのだ。 |
ここから3曲、交響曲におけるスケルツォにあたる部分の軽快な音楽が続きます。詩も田園の素朴な風景を思わせるものが選ばれています。最初の曲は17世紀から18世紀の初めにかけて活躍したシュロップシャーの詩人のもの。恋する人に一緒に暮らそうとモーションをかけていますが、背後にはイギリスの田園風景が広がっています。最後は泣き落としに入っていますが音楽は最後まで活気を失いません。最後はちょっとしみじみしますが。
勢いに満ちた弦の合奏に引き続き、テナーのソロが切々と早口で訴えを呟きます。歌の間はハープが合いの手を入れ、そして歌声が途切れるとまた冒頭で聴かれた弦の印象的なパッセージが戻ってきます。第1部で使われた
( 2013.04.20 藤井宏行 )