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箱根八里    
 
 
    

詩: 鳥居忱 (Torii Makoto,1853-1917) 日本
      

曲: 瀧廉太郎 (Taki Rentarou,1879-1903) 日本   歌詞言語: 日本語


箱根の山は 天下の険
函谷関も物ならず
万丈の山、千仞の谷
前に聳え後方(しりへ)にささふ
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇(くら)き杉の並木
羊腸の小径(せうけい)は苔滑(なめら)か
一夫関(いっぷかん)に当たるや、万夫も開くなし
天下に旅する剛毅の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ 八里の岩ね踏み鳴らす
斯くこそありしか往時の武士


箱根の山は 天下の阻(そ)
蜀の桟道数ならず
万丈の山、千仞の谷
前に聳え、後方にささふ
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小径は、苔滑か
一夫関にあたるや、万夫も開くなし
山野に狩する剛毅の壮士(ますらを)
猟銃肩に草鞋(わらぢ)がけ 八里の岩ね踏み破る
かくこそありけれ、近時の壮士

(旧漢字は新漢字に直しました)



滝光太郎さんという方からこの歌にまつわるいくつかの逸話を頂きました。それを下敷に私の方でも多少調べてみましたので以下に記します。

瀧廉太郎の書いた作品の中では「荒城の月」「花」と並んで最も有名な曲なのでしょうが、漢詩を下敷にした歌詞はやはり現代人には難しいからでしょうか、一頃に比べると知名度は下がってきているように思えます。私が子供の頃は誰でも知っていたように記憶しておりますが、我が家の子供に聞いてみたところ他の2曲は良く知っておりましたがこの曲は知りませんでした。
「箱根八里」とは、当時の東海道、四里おきに宿場がありましたが、その小田原から箱根の宿を挟んで三島の宿までの八里の山道のこと、歌詞に出てくる 「函谷関」(かんこくかん 古代中国で秦の地を守る城塞)や「蜀の桟道」(蜀の国(現在の四川省)に至る険しい山道)と、険しい山道であることを歌いこんでおります。「羊腸の小径」というのも今ではまず目にしない言葉ですが、羊の腸のように長くうねうねと曲がりくねった小道ということ、更にその次の「一夫関にあたるや、万夫も開くなし」というのは李白の詩「蜀道難」よりの直接の引用で「一夫當關 萬夫莫開 ひとりの兵が関の警護に当たれば 万兵といえども突破できない(程の天然の要害なのだ)」とあります。
詩を書いた鳥井忱(まこと 1855-1917)は幕臣の家に生まれ、この詩を書いた当時は東京音楽学校の教授を務めておりました。さすが明治生まれは漢学の素養が凄いといったところでしょうか。1900年の作詞・作曲で、翌1901年出版の中学唱歌に「荒城の月」と共に載せられております。
この歌集では2番の最後は「斯くこそありけれ、近時の壮士(ますらを)」で、1番が「昔の箱根」、2番が「今の箱根」と対比されておりましたが、すぐ後に「斯くこそあるなれ、当時の健児(ますらを)」と変えられました。このあたりの経緯につきましては池田小百合さんの『なっとく童謡・唱歌』http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00taki.htm
に詳しく触れられております。
最近のオリジナル重視の流れから再びもとの「斯くこそありけれ」の方に戻って歌われることが多くなってきたようです。意味はさほど変わることはありませんが、やはり「往時」に対比しては「当時」の方が自然でしょうか。そう聴きなじんでいたということもあるのでしょうけれども。

李白の詩「蜀道難」についても、滝光太郎さんの訳(意訳)を頂きました。原詩と共に掲載させて頂きます。「一夫関にあたるや」の部分は最後の方にありますね。



蜀道難   李白

噫吁戲危乎高哉 
蜀道之難難於上天
蠶叢及魚鳧 
開國何茫然
爾來四萬八千歳 
不與秦塞通人烟
西當太白有鳥道 
可以絶峨眉巓
地崩山摧壯士死 
然後天梯石棧相鉤連
上有六龍囘日之高標 
下有衝波逆折之囘川
黄鶴之飛尚不得過 
猿※欲度愁攀援 (※:けものへんに「柔」:ドウ)

 ああ 何と高くて危ういことよ
 蜀の桟道をゆくのは 青天に登るよりも困難だ
 蚕叢と魚鳧が 
 この地に国を開いて
 以来四万八千年 
 その国とは人煙さえ通じなかった
 西の方太白山には鳥が飛ぶ道が通じていようと
 峨眉山の頂上までは通じていない
 地は崩れ山が砕け そこを行く兵士たちはことごとく倒れ
 故に古人は 天に上るための梯子と吊橋を作った
 上には六龍が引く太陽の車でさえ 避けるしかない高き峰
 下には水煙を上げて逆巻く激流
 鶴が飛び越すことができず
 猿がよじ登っても落ちてしまう難所だ


青泥何盤盤 
百歩九折巡巌巒
捫參歴井仰脅息 
以手撫膺坐長嘆
問君西游何時還 
畏途巉岩不可攀
但見悲鳥號古木 
雄飛雌從繞林間
又聞子規啼夜月愁空山
蜀道之難難於上天 
使人聽此凋朱顏          

 青泥の道は何と歪み曲がっていることか 
 百歩歩けば九度も折れて岩山を巡りながら進む
 参の星座を探し 井星を過ぎて 天を仰いで溜息をつき 
 この手で胸を撫で 座りこんで悲嘆する
 君に問う 蜀の地に旅した者は いつ戻ることができる? 
 これほど険しい岩山をよじ登ることはできない
 ただ古木で鳥が悲しげに鳴き叫び 
 あるいは雄の鳥の後に 雌の鳥が従って飛んでいるだけだ
 聞いたところによれば ホトトギスが夜の月に向かって鳴き 人気のない山で憂いに沈むという
 蜀の桟道をゆくのは 青天に登るよりも困難だ 
 この言葉を聞いただけで 人の紅顔も萎んでしまうだろう


連峯去天不盈尺 
枯松倒挂倚絶壁
飛湍瀑流爭喧回 
撃崖轉石萬壑雷
其嶮也若此 
嗟爾遠道之人胡爲乎來哉
劍閣崢エ而崔嵬
一夫當關 
萬夫莫開
所守或匪親 
化爲狼與豺         

 高き山々と天は数尺しか離れておらず 
 枯れた松が 断崖絶壁に逆さまにかかっている
 凄まじい急流と落ちてくる瀑布がうなり声を上げて 
 雷鳴のような轟音が響き渡る
 蜀への旅が危うきことは これほどのものだ 
 ああ 遠くから来た旅人よ なぜ このような場所を訪れた
 剣門山の梯子は あまりにも高く険しい
 一人の男が関所を守るだけで 
 一万の軍勢でも落とすことはできぬ
 関所を守る者が自分の親族でなければ 
 豺狼になって襲いかかるかもしれぬ


朝避猛虎 
夕避長蛇
磨牙吮血 
殺人如麻
錦城雖云樂 
不如早還家
蜀道之難難于上青天 
側身西望長咨嗟

 朝に猛虎を避け
 夕に長蛇を避けて進む
 こうした猛獣どもは 牙を磨き 血をすすり
 人を喰い殺すことに 何の迷いもない
 いくら錦城(成都)が楽しいところであろうと
 早く引き返すのが賢明な判断というものだ
 蜀の桟道をゆくのは 青天に登るよりも困難だ
 身を傾けて西の方角を望み 長く嘆息する

(一部特殊文字でうまく表示できなかったものは類字に藤井にて置き換えを致しました)

( 2012.07.21 藤井宏行 )


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