山麓の二人 智恵子抄 |
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二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は 険しく八月の頭上の空に目をみはり 裾野とほく靡いて波うち 芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる 半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し わたくしの手に重くもたれて 泣きやまぬ童女のやうに慟哭する ――わたしもうぢき駄目になる 意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて のがれる途(みち)無き魂との別離 その不可抗の豫感 ――わたしもうぢき駄目になる 涙にぬれた手に山風が冷たく觸れる わたくしは黙つて妻の姿に見入る 意識の境から最後にふり返つて わたくしに縋る この妻をとりもどすすべが今は世に無い わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し 闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。 |
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歌曲集8曲目もまた清水脩も取り上げたこの詩。メロディを付けたくなる詩というのはどうしても似てくるということはあるのでしょう。詩の日付は昭和13年6月とあります(詩中には八月とあるのですが)。詩集では30番目の詩です。
力強く歌い始められる冒頭の情景描写が、やがて力なくふたりの心のさざめきを描き出します。智恵子の言葉「わたしもうぢき駄目になる」のあたりからは音楽はとことん優しくなり、オペラの中の美しい愛のデュエットを思わせる魅力的な歌となります。清水脩の徹底してドラマティックな曲とは対照的で非常に興味深い解釈でした。
( 2012.03.23 藤井宏行 )