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Panis Angelicus    
 
天使のパン  
    

詩: アクゥイナス (Thomas Aquinas,1225-1274) イタリア
      

曲: フランク (Cesar August Franck,1822-1890) ベルギー→フランス   歌詞言語: ラテン語


Panis Angelicus
fit panis hominum;
Dat panis coelicus
figuris terminum:

O res mirabilis!
Manducat Dominum
pauper,pauper,
servus et humilis.

pauper,pauper,
servus et humilis.

Panis Angelicus
fit panis hominum;
Dat panis coelicus
figuris terminum:

O res mirabilis!
Manducat Dominum
pauper,pauper,
servus et humilis.

天使のパンは
人々のパンとなったのです
その天のパンは
予兆をすべて終わらせました

おお、驚くべきこと!
主を食べるのが
貧しき 貧しき
慎ましきしもべたちであるのは

貧しき 貧しき
慎ましきしもべたちであるのは

天使のパンは
人々のパンとなったのです
その天のパンは
予兆をすべて終わらせました

おお、驚くべきこと!
主を食べるのが
貧しき 貧しき
慎ましきしもべたちであるのは


1872年、フランクが50歳のときの作品で、テノールのソロにオルガン・ハープ・チェロの伴奏のものがオリジナルなのだそうですが、のちに彼自身のミサ曲イ長調Op.12の第5楽章に転用されました(サンクトスとアニュス・デイの間。ミサ曲の初版(1860)では含まれていませんでしたので、これが歌われない演奏もあります。私の聴けたこのミサ曲の録音ではソプラノによって歌われておりました)。今では独唱・合唱問わず、また伴奏も大管弦楽からピアノ独奏まで様々な形態で演奏されています。詩はトマス・アクイナス(1225 - 1274)の書いたSACRIS SOLEMNIISよりの一節。日本ではクリスマスの歌の定番のようになっていますが、カトリックでは聖体の祝日(5月〜6月にかけての木曜日)に唱和される典礼文のようです。キリスト教の礼拝では聖餅(聖体)といって、救世主の肉体とみなしたパン(ウエハースみたいな感じのものですが)を食しますが、これは良く知られた「最後の晩餐」の中でのイエスの言葉「このパンが私の体である、私を覚えてこれを行いなさい」をうけて、人間の罪を背負って生贄となられたイエスのことを常に思い起こすためのもの。生贄の子羊を古い契約では食していたように、イエスの肉体を「神の子羊(アニュス・デイ)」として食すということなのでしょう。
訳すときに困ったのが一節目の「figuris terminum」、figurisというのは旧約聖書に記述された出来事の中で、新約聖書の中の出来事の前触れとなるもののことを言うのだそうです。その予兆が、イエスの受難によって終わりを告げる、つまりこれより後には予兆となるものは出てこないということを意味しているということのようなのですが、キリスト教の背景知識がないと何だか意味が良く取れません。それもあって、訳者の方々も「世に命を与う(竹井成義訳)」「形あるものを終わらせられる(鎌田紳爾訳)」「見えるものとなる(富田裕訳)」等々、皆さん意訳に苦労されております。私は考えた末に、ここにこうして補足ができますので直訳のままにしておくこととしました。

有名な曲ですので古今東西の色々な歌手の方の録音がありますが、あまりにけばけばしいオーケストラの変な編曲ではなく、フランクのオリジナルのチェロ独奏の入った版が個人的にはいいなあと思います。


( 2011.12.09 藤井宏行 )


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