Vor der Passion Op.27-10 Marienleben |
受難の前に マリアの生涯 |
O hast du dies gewollt,du hättest nicht durch eines Weibes Leib entspringen dürfen: Heilande muß man in den Bergen schürfen, wo man das Harte aus dem Harten bricht. Tut dirs nicht selber leid,dein liebes Tal so zu verwüsten? Siehe meine Schwäche; ich habe nichts als Milch- und Tränenbäche, und du warst immer in der Überzahl. Mit solchem Aufwand wardst du mir verheißen. Was tratst du nicht gleich wild aus mir hinaus? Wenn du nur Tiger brauchst,dich zu zerreißen, warum erzog man mich im Frauenhaus, ein weiches reines Kleid für dich zu weben, darin nicht einmal die geringste Spur von Naht dich drückt -: so war mein ganzes Leben, und jetzt verkehrst du plötzlich die Natur. |
おお お前がこれを望んだのであれば お前は決して 女の胎内より躍り出てはならなかったのです 救い主を 人は山々より掘り出されるべきだったのです そこで人は硬きものより硬きものを砕いて取り出すのですから お前は自ら嘆かねばならないのですか お前の愛する谷間が こんなにも荒れ果てたことに? ご覧なさい 私の弱さを 私にはただ 乳と涙の川があるだけです お前は常に偉大なるものの中にあったというのに そんな努力を以て お前は私に約束をしたのですね とうしてお前は私のもとから荒々しく逃れ出ようとしなかったのですか? お前が虎を必要だというのなら その身を引き裂くために なぜ人は私を女の家で育てたのでしょう 一枚の柔らかく清らかな衣を織るために 跡ひとつない衣 お前を傷付ける縫い目の衣を -それをすることが私の人生のすべてでした それが今 お前はすっかり自然を変えてしまったのです |
復活祭前の46日間がキリスト教でいう受難節にあたります。復活祭が年によって違いますので、この受難節が始まるのも最も早い年で2月4日から、遅い年で3月10日からということになります。ちょうど春がやってくる前の時期を、クリスチャンたちは悔悟の時期としているのですね。
さて、リルケの書いた詩集「マリアの生涯」でももちろんこのイエスの受難を題材としております。ここまでのところの詩はすべて、マリアを第三者たる詩人が描きだしているという感じであったのですが、この受難のシーンではマリア自身が御子イエスに呼びかけているように私には読めましたので(既訳では必ずしもそういう解釈ではないようではありますが)そのように訳してみました。難解な詩ゆえに意味が全く取れないところもありましたがご容赦ください。
( 2011.03.06 藤井宏行 )