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狂奔する牛    
  智恵子抄
 
    

詩: 高村光太郎 (Takamura Koutarou,1883-1956) 日本
    智恵子抄 18 狂奔する牛

曲: 清水脩 (Shimizu Osamu,1911-1986) 日本   歌詞言語: 日本語


ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞(じやくまく)の境にあんな雪崩(なだれ)をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた
あの狂奔する牛の群を。
今日はもう止しませう、
畫きかけてゐたあの穂高の三角の屋根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました
槍の氷を溶かして來る
あのセルリヤンの梓川(あづさがは)に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊(はくよう)が遠く風になびいてゐます。
今日はもう畫くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火(たきび)をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔(こけ)の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。

あなたがそんなにおびえるのは
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの變貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獸性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が來るでせう。
もつと多くの事を此の身に知つて、
いつかは靜かな愛にほほゑみながら――



3曲目は更に飛んで大正14年の6月、もっとも詩集では結婚直後の大正3年の「晩餐」が15番目の詩に対しこれは第18番目ですので光太郎自身がこの間あまり書いていないことになります。
スケッチのためにやってきた信州(恐らく)での出来事でしょう。突如猛り狂った牛の群れを目撃し、彼女は恐れおののいてしまった。
ただ単なるハプニングというだけでなく、これからやってくるであろう不吉なことの前兆を仄めかしているかのようです。
冒頭のピアノの激しくも重苦しい音楽は突進する牛の群れを描写しているのでしょうか。歌は激しくなったり、静かに智恵子をなだめるかのように穏やかになったりを繰り返し、一旦の間を置いて「今日はもう止しませう」からは静かな山の中の情景を淡々と歌い紡いで行きます。
再び「あなたがそんなにおびえるのは」の言葉が戻ってきますが、今度は最初のように激しくはありません。最後は静かに音楽は消え入ってゆきます。

( 2011.02.26 藤井宏行 )


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