TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


人に    
  智恵子抄
 
    

詩: 高村光太郎 (Takamura Koutarou,1883-1956) 日本
    智恵子抄 1 人に

曲: 清水脩 (Shimizu Osamu,1911-1986) 日本   歌詞言語: 日本語


いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに實のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型(かた)のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を賣る氣になれるんでせう
あなたはその身を賣るんです
一人の世界から
萬人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜惡事でせう
まるでさう
チシアンの畫いた繪が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ氣はないけれど
恰度(ちやうど)あなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも戀とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて



詩人・彫刻家として大正・昭和に活躍した高村光太郎は、愛する妻のことを結婚の前からたくさんの詩に書き溜め、その妻が病を得て先だった翌々年の昭和16年(1941)に「智恵子抄」という詩集にして出版しました(その後もなお書き続け、最終的には更に8篇の詩を加えて昭和25年(1950)に最終版が出ています。
日本の近代詩の中ではひとりの女性に対し、これほど熱烈な愛を捧げている詩集というのは珍しいのではないでしょうか。詩人の愛と哀しみが切実に響いてくる美しい詩集です。
ただ、歌にするにはあまりに詩が語り過ぎているでしょうか。音楽にするにはあまりに難しいと見えて、詩の人気とは裏腹に、意外と歌曲にはなっていない感じがします。
日本歌曲においてはこの人を忘れてはならない清水脩はこの詩集にチャレンジした数少ないうちのひとりです。語り、叫び、つぶやく...彼のオペラで鍛えた腕を駆使したかのような、印象的な歌曲集が出来上がりました。
30篇ほどある1941年版の詩集から、清水は約三分の一の12篇を選んでいます。その選曲もまた興味深いところ。そんなところにも触れながら、この歌曲集をご紹介して行ければとおもいます。

第1曲目は詩集でも冒頭の詩、明治45年(1912)7月とありますのでふたりがまだ結婚前。明治19年生まれの智恵子は20代半ばです。彼女も洋画を志し、郷里の福島より独り上京して暮らしていたのだそうですが、この当時にこの年で東京独り暮らしというのはかなり翔んだ女性という感じがします。ここで光太郎が語る言葉を眺めるだけでも、どんな女性なのかは目に見えるように分かります。こういう女性を妻にすると大変でしょう。けれどとても楽しそうでもあります。
なお、ふたりが初めて会ったのはその前の年の12月頃だったのだそうで、まだそれから半年あまりの時ですね。
詩は生々しくて、あまり余計な解説など必要ないかとは思うのですが、いくつか言葉の補足をしておきますと、チシアンというのはルネッサンス期イタリアの画家ティツィアーノ、鶴巻町とは早稲田のあたり。名画がそんなところの骨董屋に売りに出されることを嘆くという、かなりユーモラスな譬えではあります。グロキシニヤ(オオイワギリソウ)は熱帯産の園芸植物。語感からしてかなり大味の花のようです。智恵子が亡くなってからの詩「亡き人に」でもういちどこの名前が出て参ります。

清水のつけた曲は切々と語り、訴えかけます。ちょっとゲイっぽいナヨっとした感じがまた面白いです。偏見のようですがいかにも芸術家のモノローグと言う感じがいいですね。

( 2011.01.30 藤井宏行 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ