Egyedül a tengerrel Op.16-4 BB72 Öt dal |
ただひとり海辺で 5つの歌 |
Tengerpart,alkony,kis hotel-szoba. Elment,nem látom többé már soha, Elment,nem látom többé már soha. Egy virágot a pamlagon hagyott, Megölelem az ócska pamlagot, Megölelem az ócska pamlagot. Parfümje szálldos csókosan körül, Lent zúg a tenger,a tenger örül, Lent zúg a tenger,a tenger örül. Egy Fárosz lángol messze valahol, Jöjj,édesem,lent a tenger dalol, Jöjj,édesem,lent a tenger dalol. A daloló,vad tengert hallgatom És álmodom az ócska pamlagon És álmodom az ócska pamlagon. Itt pihent,csókolt,az ölembe hullt, Dalol a tenger és dalol a mult, Dalol a tenger és dalol a mult. |
海辺、夕暮れ、狭いホテルの部屋 あの人は行ってしまった、私はもう会うことはない あの人は行ってしまった、私はもう会うことはない 一輪の花がソファの上に残された 古ぼけたそのソファを私は抱く 古ぼけたそのソファを私は抱く ただよう香りはくちづけのまわりに 下では海のとどろき、海は幸せそう 下では海のとどろき、海は幸せそう 灯台がまたたく どこか遠くで 来て、愛しい人よ、下では海が歌ってる 来て、愛しい人よ、下では海が歌ってる その歌声を、激しい海鳴りを聞く 古ぼけたソファの上で夢を見ながら 古ぼけたソファの上で夢を見ながら あのひとはここに寝そべり、キスをして、私の膝に埋もれた 海は歌う そして思い出も歌う 海は歌う そして思い出も歌う |
アディ・エンドレという詩人はハンガリーという言語的にはひどくマイナーな国の文学者ということもあって日本ではほとんど知られていないかと思うのですが、この詩はなぜか一部で非常に有名になっています。というのは私の訳したものでは分かりにくいのですが(あえて引きずられないように意識しています)、1977年に出版された徳永康元・池田雅之訳のアディ・エンドレ詩集(恒文社)でのこの詩の訳を見ると分かる方にはすぐピンとくるでしょう...
ひとり海辺で
海辺、たそがれ、ホテルの小部屋
あの人は行ってしまった、もう戻ることはない
あの人は行ってしまった、もう戻ることはない
(第1節のみ上記書より引用 徳永康元訳)
1971年に五木ひろしが歌って大ヒットした歌謡曲「よこはま たそがれ」(詞:山口洋子・曲:平尾昌晃)に偶然の一致とは思えないほど良く似ているのです。一部の書籍などでは作詞者のコメントまで引用してあからさまな盗作だとまで非難しておりますが(矢沢寛著 流行歌気まぐれ50年史 大月書店)、真相のほどはわかりません。なおアディの原詩の方の著作権は1970年の1月1日に日本では切れていますから、こちらの原詩に想を得て作詞したとしても著作権上の問題は生じません(歌のリリースから見ると絶妙のタイミングですね)。ちなみに更に調べてみると、1962年に出版されている平凡社の世界名詩集大成の北欧・東欧篇に同じ訳詩が掲載されていることを確認しましたのでこのフレーズは徳永訳がオリジナルということで間違いないようです。従って訳詞そのものの著作権侵害ということで法的には徳永側に文句をいう権利がありますが、氏の側から訴えを起こしたということもないようですし(2003年に氏は逝去されています)、第3者がこれ以上とやかく言うのはやめておきます。
まあ、何はともあれアディの詩は、そのまま歌謡曲の詩になってもおかしくないようなヴィヴィッドな失恋のシーンですね。ソファを抱いて泣くところなんかは実に絵になります。バルトークの音楽は残念ながら歌謡曲というわけにはいきませんが、潮騒をあらわすようなきらめくピアノ伴奏に乗せてしみじみと歌声はつぶやきます。
( 2010.09.23 藤井宏行 )