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君死にたもうことなかれ    
 
 
    

詩: 与謝野晶子 (Yosano Akiko,1878-1942) 日本
      君死にたもうことなかれ

曲: 吉田隆子 (Yoshida Takako,1910-1956) 日本   歌詞言語: 日本語


ああおとうとよ 君を泣く、
君死にたもうことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ、
君は知らじな あきびとの
家のおきてになかりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されむ

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや 思えるや
十月も添わでわかれたる
少女ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ



あまりに有名な日露戦争の真っただ中に書かれた与謝野晶子の詩、そのメッセージ性の鮮烈さに惹かれてか、色々な人がメロディを付けています。服部良一や遠藤実といった人の名前もそこには見えますが、やはり真っ先に取り上げられるべきは吉田隆子のつけたこの曲でしょう。
没後50年以上経ってしまい、今やほとんど忘れられた感のある人ですが、2005年には新宿書房より彼女がこの詩と、そして晶子の生きざまをオペラ化しようと苦闘し、そして病のために未完に終わった「君死にたもうことなかれ」のオペラ台本が復刻され、あるいは私はフランス歌曲のスペシャリストという印象の強かったソプラノの奈良ゆみさんが彼女を含めた明治・大正・昭和に活躍した5人の女性作曲家の歌曲作品を集めて録音しているアルバム「歌、太陽のように・・・明治・大正・昭和に凛々しく生きた日本の女性作曲家たち」(ALM)が2009年の9月に出たりと、細々とではありますが語り継がれ、歌い継がれているのが救いです。そういうつもりで取り上げたのではないですが、くしくも今年は彼女の生誕100年ですね。

彼女の経歴で特筆しておくべきは、あの治安維持法他のもとで社会主義者たちへの弾圧の激しかった1930年代、あえてその社会主義者たちの「プロレタリア音楽同盟」に参加し、反戦や労働者解放のための音楽を書き続け、その結果として幾度もの逮捕・拘留をされてきたことです。彼女が早世したのも、この拘留の際に病を得たことがひとつの引き金になっているようです。
そんな彼女が日本の敗戦を迎えた年の翌1946年、この先達の鮮烈な反戦歌を音楽にしようと思ったのもある意味自然な成り行きでしょう。

「私が晶子の「君死にたもうことなかれ」をはっきり作曲したいと考えだしたのは、あの終戦の翌年、-この明治(日露戦争中)に作られた反戦詩が、その後ずっと日本の軍国主義のために閉じ込められてきながらも、敗戦の焦土の中からよみがえる事が出来た- 終戦から間もなくの頃でした。その頃私は、永い病臥生活から再起出来て、新しい時代の求める人民的で芸術的な歌曲を、民族の底を流れる音楽情感を生かして作りたいと願っていた時でした。しかし私の求めるのにふさわしい新鮮な感動をもつテキストはなかなか見あたりません。それならば、私は、この明治の時代の感触をもちながらも、女の悲哀を通して鋭く戦争に抗議した晶子の「君死にたもうことなかれ」を、現代の歌曲として生かしたいと思いました。それは私が、女の作曲家である殊更な感慨も含めて-」
   (1949年12月 作曲者自身の手記より 上述の新宿書房の書より転載)

作曲はしかしながら難航し、初演は1949年5月の晶子の8回忌に催された第一回の「晶子祭」(歌:三宅春恵・ピアノ:三宅洋一郎)でのことでした。このあたりの経緯も作曲者自身の言葉が興味深いのでご紹介致しましょう。

「しかし作曲はなかなかはかどりませんでした。-この気迫にみちたオクターブの高い調べの詩! 一体、晶子の天才は、詩の言葉になりにくいものまでちゃんと高い格調をもって歌いこなしているのですから.... 原詩が優れていればいる程、作曲もそれにふさわしくなくてはならない、と思うので、軽々と筆を下すわけには行きません。-ヒューマニズムの高い調子を保ちながら、誰にも親しまれやすく、という謂わば芸術作品として専門家が歌ってきかせるばかりのものではなく、是非ともみんなが声を出して心を触れ合わせながら歌えるものにしたい! と思えば....あの頃、私は一体、幾度メロディのデッサンを作りなおした事でしょう。ようやく仕上げたのはそれから四年もたった今年の四月でした。
  (出典 同上)

晶子のこの詩は、副題に「旅順口包囲軍の中に在りたる弟を歎きて」とあります通り、日露戦争の激戦地として、戦死者を多数出した旅順の要塞の攻撃軍に召集された弟 籌三郎(ちゅうさぶろう)に呼びかける歌です。明治37年9月号の「明星」に掲載されました。まだこういう反戦的・厭戦的な作品も許容していたおおらかな時代とはいえ、この詩にあるような「旅順の城は...ほろびずとても何事ぞ」や「すめらみこと(天皇陛下)は 戦いに おおみずからは出でまさね」などの言葉は、国民一丸となって勝利に向けて頑張るべしという国粋主義者たちから激しく非難を浴びたと言います。ましてや吉田の戦った昭和の国粋主義の時代には、このような作品は封印され、また作者たちには弾圧・投獄の危険がありました(この時期まで生きた晩年の与謝野晶子ももはやこのような反戦的な作品は全くといっていいほど書かなかったといいます)。そういう時代を経て、再び発表できるようになった戦後間もなくの時期に、まさにこの投獄・弾圧を身をもって体験してきた作曲者の渾身の傑作が生み出されたことは忘れ去られてはなりません。

幸いなことに、この歌、前述の奈良ゆみさんの歌ったCDに収録されております。激しい思いをぶつけるようなピアノ伴奏のオスティナートに乗せて、歌のメロディは力強いオクターブの跳躍。彼女がエッセイで書いたように「この気迫にみちたオクターブの高い調べの詩」を見事に歌にした傑作を音で聴くことのできる素晴らしさ。彼女の戦前の作品なども収録されていて非常に有難いCDでした。
もうひとつ私が聴くことのできたのは、社会評論社から出ていたCDブック「戦争と流行歌 君死にたまふことなかれ」(矢沢寛/1995)に付いていたCDで、これを編集した元レコードプロデューサーの音楽評論家・長田暁二氏が昭和46年に企画・録音したペギー葉山の歌(小川寛興編曲)です。演奏の仕方によっては流行歌的にも聴こえるというのが興味深いところです。図書館を探さないとこちらは見つけ難いと思いますが、非常に貴重な録音と思いますのでぜひ聴かれてみてください。

( 2010.08.14 藤井宏行 )


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