Zigeunerleben Op.29-3 Drei Gedichte nach Emanuel Geibel |
ジプシーの生活 ガイベルによる3つの詩 |
Im Schatten des Waldes,im Buchengezweig, da regt's sich und raschelt und flüstert zugleich. Es flackern die Flammen,es gaukelt der Schein um bunte Gestalten,um Laub und Gestein. Da ist der Zigeuner bewegliche Schar, mit blitzendem Aug' und mit wallendem Haar, gesäugt an des Niles geheiligter Flut, gebräunt von Hispaniens südlicher Glut. Ums lodernde Feuer in schwellendem Grün, da lagern die Männer verwildert und kühn, da kauern die Weiber und rüsten das Mahl, und füllen geschäftig den alten Pokal. Und Sagen und Lieder ertönen im Rund, wie Spaniens Gärten so blühend und bunt, und magische Sprüche für Not und Gefahr verkündet die Alte der horchenden Schar. Schwarzäugige Mädchen beginnen den Tanz. Da sprühen die Fackeln im rötlichen Glanz. es lockt die Gitarre,die Zimbel klingt. Wie wild und wilder der Reigen sich schlingt! Dann ruh'n sie ermüdet vom nächtlichen reih'n. Es rauschen die Buchen in Schlummer sie ein. Und die aus der glücklichen Heimat verbannt, sie schauen im Traume das glückliche Land. Doch wie nun im Osten der Morgen erwacht, verlöschen die schönen gebilde der Nacht, es scharret das Maultier bei Tagesbeginn, fort zieh'n die Gestalten,wer sagt dir wohin? |
森の陰の中、ブナの木の枝の間 そこに動き、ざわめき、一斉にささやき合うものがある 炎はゆらめき、光がひらひらと揺れる 色とりどりの人影のまわりを、木の葉や岩のまわりを そこにいるのはさすらいのジプシーの群れだ 輝く瞳と、波打つ髪の 聖なる流れナイルのほとりで乳を吸い スペインの南国の灼熱に肌を焼いた者どもだ 豊かな緑の中で燃え上がる炎のまわり そこに寝そべるのは荒くれの勇敢な男たち そこにかがむ女たちは食事のしたくだ せわしなく古びた盃を満たしている 物語や歌が輪の中に響く スペインの庭のように花咲き色とりどりに 苦難や危険を払う魔法の呪文を 老婆は皆の聴く前で唱える 黒い瞳の娘たちがダンスを始め そこにたいまつは赤い光を投げかける ギターが心酔わせ シンバルが響く 何と激しくまた激しく踊りの輪のからみついてくることか! やがて彼らは安らぐ 夜通しの踊りに疲れて ブナの木はささやく 彼らのまどろみの中で そして幸せな故郷を追われた者たちは 夢の中に幸せの地を見るのだ だが今や東の方に朝は目ざめ 美しい夜の創造物を消していく ラバは蹄を鳴らす 一日の始まりに はるかにその姿は遠ざかってゆく、誰がお前たちに問おうか 「どこへ」と? |
古くより合唱曲の名作「流浪の民」として日本でも親しまれてきた作品です。もっぱら独文学者・石倉小三郎(1881-1965)の訳による日本語歌詞で歌われることが多いので、ドイツ語の原詞はほとんど日本では省みられることはないでしょうか。今回私も初めて原詩を見てなかなかに感じ入るところがありましたのでできるだけ直訳に近く訳して見ることにしました。
シューマンの「歌の年」として、幾多の傑作歌曲集が書かれた1840年にこれも書かれた作品29は、様々な組み合わせからなるピアノ伴奏付きの重唱曲3曲からなっており、その最後の曲がこの混声4重唱による「ジプシーの生活」です。18世紀後半から19世紀にかけては、こういったさすらいの中に自由な生きざまとロマンを感じさせるジプシー像を描いた文学が大量に生み出されたのだそうで、これもそんな中のひとつです。
当時、産業化が進行した西欧では定住民たちが抑圧を強く感じるようになってきており、気ままに見える彼らの暮らしに複雑な思いを抱くようになったというのがひとつの理由、そしてもうひとつは18世紀の後半にルーマニアでジプシー奴隷の解放が行われ、東欧から移住してくるジプシーたちが激増し、いやおうなく彼らの存在を感じざるを得なくなったというのがその理由なのだそうです。現実には「ジプシー」とは言いつつも、ここで描かれているような「流浪の民」であった人々というのはそれほど多くはなかったと言いますが、そういうイメージが強く刷り込まれてしまっている、というのもまた避けることのできない現実ではあります。
「ジプシー」と呼ばれる民族がヨーロッパに現れたのは15世紀と言われ、もともとの起源はインドの方のようですが、「ジプシー」の語源となった「エジプト人」でも分かるように、エジプトから流れ着いて来たのだと信じられており、この詩でも「ナイルが故郷」というような一節があります。またそれもあってモロッコから海を渡ってスペインに流れ着き、そこからも西欧に広がったというような誤解も生じておりますが(この詩にもスペインが言及されていますね。実際西欧で今でもジプシーの人口が一番多いのはスペインなのだそうです)、現実にはそれはなかったようです。
曲想の変化がダイナミックで非常に映える音楽だからでしょうか。現在でも混声合唱で良く取り上げられる曲のようです。ただ明治の末か大正に書かれた日本語の詩は格調高い名文ですが、一部の解説に見られるように「原詩を超えたすばらしさだ」とまで言うのは少々贔屓の引き倒しのように私は思います。また現在ではあまりに言葉が古くなり過ぎて、「ほがい」だとか「うつい」「ねぎごと」など、何のことやらさっぱり分からない言葉が多すぎて、日本調の変なべルカント唱法も災いして訳の分からない呪文と化しているようなのが痛々しいです。どうせそうなるのなら原語のドイツ語詞で歌ったら良いのにと思わなくもありませんが、私が言うのは余計なお世話なので止めておきます。
またこの石倉訳の書かれた当時はナイル川のことをニイル川とも呼んでいたようで(あるいは「ニイル」の方が普通だったのかも知れませんが調べ切れませんでした)、この石倉詞の該当部分「ニイルの水に 浸されて」の意味が分かりません!教えて下さい!のQ&Aが検索してみるとネット上で物凄い数引っかかって参りました。甚だしくは「ニイルの水では意味が分からないからトンでもない訳詞だ」と批判されているサイトまでありましたが、これはちょっと言いがかりに近いように私は思います。まあ今後も日本語で歌い継いでいくのであれば、そろそろ新しい訳詞にした方が良いのかも知れません。
( 2010.02.20 藤井宏行 )