Linden Lea |
リンデン・リー |
Ithin the woodlands,flow'ry gleäded, By the woak tree's mossy moot, The sheenèn grass-bleädes,timber-sheäded, Now do quiver under voot; An' birds do whissle auver head, An' water's bubblèn in its bed, An' there vor me the apple tree Do leän down low in Linden Lea. When leaves that leätely wer a-springèn Now do feäde 'ithin the copse, An' painted birds do hush ther zingèn Up upon the timber's tops; An' brown-leav'd fruit's a-turnèn red, In cloudless zunsheen,auver head, Wi' fruit vor me,the apple tree Do leän down low in Linden Lea. Let other vo'k meäke money vaster In the aïr o' dark-room'd towns, I don't dread a peevish meäster; Though noo man do heed my frowns, I be free to goo abrode, Or teäke ageän my hwomeward road To where,vor me,the apple tree Do leän down low in Linden Lea. |
森の中、花咲く広場 カシの木の苔むした切株のそば きらめく草の葉と、木の影が 今は足元で揺れてるんだ 鳥たちは頭の上でさえずってるし 川の流れは水底で泡立っている そしてあそこには私のために リンゴの木が 低く枝を垂れているんだ このリンデの草原に ついこの間芽吹いたはずの木の葉も 今やこの林の中で色あせ 色鮮やかな鳥たちも歌うのをやめてしまった あの木の上では そして茶色の葉の下のこの果実は赤く色付く 雲ひとつない日の光の下で 私のためのこの果実で リンゴの木は 低く枝を垂れているんだ このリンデの草原に 世の中のやつらには金儲けさせておけばいいさ 薄汚れた都会の空の下で 私は気難しい親方も怖くはないし 私のしかめっ面を気にする人もいないだろう 異国に行くのも構わないだろうし また故郷に帰る道を選んだっていい そこには 私のためにリンゴの木が 低く枝を垂れているんだ このリンデの草原に |
ヴォーン=ウイリアムズの歌曲作品の中ではもっとも良く知られ、歌われるものでしょうか。合唱にも編曲されて日本国内でも良く耳にできる機会があるように思います。遅い秋の故郷の情景を、遠く離れた都会から懐かしむ。日本の「うさぎ追いしかの山」は春のイメージですが、こちらのリンゴのたわわになった秋の故郷の歌というのもとても美しく、心に残ります。
(今まさにその故郷を散策しているのだ、という解釈の訳も見かけますが、私はやはりこれは今は戻れない故郷への思いを歌った歌だと思います。少なくとも3番で歌われている望郷の想いとつながりを持たせるためには)
詩のウイリアム・バーンズ(William Barnes 1811-1886)は、同じく詩人だったトマス・ハーディなどとも同郷の出身で、自らの故郷ドーセット地方(イングランド南西部の海辺)に対する強いこだわりを持っていた人なのだといいます。そしてここに掲載した原詩をご覧頂ければ明らかに標準英語と違っているのがお分かりかと思いますが、こんな風にドーセットの方言でたくさんの詩を書いた人なのです。
今では標準英語に直されたものでこの曲は歌われることが多いようですが(ヴォーン=ウイリアムズも標準英語訳の詞に曲を付けたのかも知れません)、ここはやはりオリジナルをご紹介しておきたいところですね。
Mootというのが良く分からなかったのですが、ネット上でのフォーラムで、辞書のOEDでは「切株」の意味がある、という議論がなされているのを見つけましたので、一番しっくりくるこの語を当ててみました。またLindenは甲斐さんがシューベルト「冬の旅」の第5曲の解説でも言及されている通り「菩提樹」ではないとのことですので、ここではリンデとしました。「リンデン・リー」という地名なのかも知れませんけれども...
( 2008.09.30 藤井宏行 )