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Potkal sem mladou cigánku    
  Zápisník Zmizelého
俺は若いジプシー娘に会った  
     消えた男の日記

詩: カルダ (Ozef Kalda,1871-1921) チェコ
      

曲: ヤナーチェク (Leoš Janáček,1854-1928) チェコ   歌詞言語: チェコ語


Potkal sem mladou cigánku,
nesla se jako laň,
přes prsa černé lelíky
a oči bez dna zhlaň.

Pohledla po mně zhluboka,
pak vznesla sa přes peň,
a tak mi v hlavě ostala
přes celučký,celučký deň.

俺は若いジプシー娘に会った
牝鹿のようにしなやかに歩いてた
胸までかかる編んだ黒髪
瞳は底知れぬほど深かった

その娘は俺をじっと見つめ
それから切株を飛び越えて消えた
だが俺の頭の中からは消えてはくれないのだ
ずっと、ずっと一日中


1916年5月14日とその翌週21日のチェコの新聞Lidové novini(「民衆の新聞」とでも訳せるでしょうか)は「独学の作者のペンによる」と題して匿名の詩を掲載しました。そこにはこんな注記があり、これが突然失踪した東モラヴィアの田舎村の若者の書いた詩だということにされていたのです。

東モラヴィアの小さな村で少し昔のこと、JDという名の、両親の期待を一身に集めていた真面目で働き者の若者が家から不可解な失踪をした。警察は初め事故か犯罪に巻き込まれたものと考えた。だが数日後に部屋の中よりノートが見つかり、それが失われた秘密を明らかにしたのだ。そこには何篇かの短い詩が書かれており、初めは誰もこれが謎を解く手がかりだとは考えなかったが、司法当局の調査によって正しい意味とこの事件の背景が明らかにされたのだ。この感動的で真摯な響きとその詩的な価値のために、これらは裁判書類の埃の中より掘り起こされるべきであろう。

素人の作った詩にしては非常に良く出来た押韻と構成でしたので、これには誰かプロの詩人が絡んでいるな、ということは当時から当然のように疑われたようですが誰も名乗り出ることもなく、ずっと長いことこの詩は作者不詳ということになっておりました。それもあってか私がこの曲を初めて聴いた20年以上前のCDではそのライナーノーツに、「これは新聞記事にのったある手記に基づく実話である」なんていう記述もあったりして私もすっかりこの謎の作者の仕掛けに引っ掛けられていたことは告白せねばなりますまい。
1997年になってようやく、文学史家イジー・デメルと、ヤン・ミケスカらによって発掘された作者のこの詩について言及した手紙が決め手となって、鉄道管理局でも働いていた詩人オゼフ・カルダ(1871-1921)が書いたものと判明したのです。

詩をご覧頂ければお分かりのように、かなり濃密なエロスを漂わせるあまりにも出来過ぎな展開。分かってしまえば作り話であることは当然のように思われるのですが、私はこれがリアルな当事者の手になるものだと信じていたときには「何て凄い世界だ」と戦慄を覚えながら聴いておりました。ヤナーチェクのつけた音楽が詩に輪をかけてエロティックにして幻想的なので、古今東西にあまたある歌曲集作品の中でもこれの右に出るほど濃密なものは他にはないんではないか、と思うほどの強烈さです。何よりも主人公のモノローグを語るテノールの独唱だけでなく、彼を誘惑するジプシー娘役のアルト歌手に、森の神秘を表す女性合唱までついている豪華版。歌曲集ではなく、オペラ形式で上演されることまである作品なのです。

ヤナーチェク自身はこの新聞記事に載っていた詩を掲載当時には読んでいなかったようですが、その切り抜きを持って翌1917年の7月に出かけたモラヴィアの保養地で、38歳も若い人妻カミラ・ステッスロヴァー(1891〜1935)と運命的な出会いをします。彼女はこの詩に出てくるジプシー娘のように黒い髪と黒い肌の女性だったようですので、彼女に一目ぼれしたヤナーチェクにとっては非常に心に響いたのでしょう。他の作品作曲の合間を縫ってではありますが、この詩につけた歌曲集を1919年に完成させています。

このカミラ、ヤナーチェク晩年のあまたある傑作群を書くに至った作曲者のインスピレーション源となった女性として音楽史に残っていますね。ヤナーチェクは700通を越える手紙を彼女に書いたのだといいます。そしてその情熱が一番熱く、ストレートに発露されているのが最初に書かれたこの「消えた男」であることはまた至極当然だとも言えましょう。
詞を読み、音楽を聴くだけでひたすら圧倒されてしまいます。60歳を越えた人の書いた音楽とは信じられません。

英語では異常に長いタイトル”The Diary of One Who Disappeared”ですが、原題はわずか2語”Zápisník Zmizelého”で非常にシンプルです。Zmizelというのが動詞「消える」の過去形ですので、おそらく一番しっくりくる訳は「失踪者」とでもなりますでしょうか。またZápisníkというのは日記よりももう少し広い意味で、手帳やノートのこともこう呼ぶようですので、私がもし邦訳のタイトルをつけるとすれば「ある失踪者の手記」とでもするかと思います。こっちの方がヤナーチェクらしいタイトルのように私には思えますけれどもいかがなものでしょうか。

チェコ語をろくすっぽ勉強もせずにこの繊細なニュアンスに満ちたモラヴィア方言の訳詞に挑もうなどという暴挙をしたくなりましたきっかけはISATさんのブログ「四季をめぐる詩歌」で非常に詳細にまた興味深くこの曲が紹介されていたのを拝見したことです。私がこれを訳すにあたっても背景となる知識や言葉のニュアンスなど、大いに参考にさせて頂きました(ほとんど受け売りのところもございます)。ここに御礼申し上げたいと思います。
また日本ヤナーチェク協会のHPでも、チェコ文化の研究家として著名な関根日出男氏による詳細な解説と歌詞の全訳を拝見することができました。ヤナーチェクはオペラをはじめとする声楽が主要作品で、しかも原語で聴かないとその魅力が大きく減じられるといいます。その意味でもWEB上にこのような充実した記事が掲載されている有難さを噛み締めたいものです。これだけのものがネットにあれば何も私が下手な訳詞を更にやらなくても良いところですが、ここにあればヤナーチェクのこの曲をご存知ない方の目に留まるチャンスも少しは増えるかな、ということで恥ずかしながら掲載させて頂くことにしました。

さて、冒頭第一曲は心の動揺を秘めたモノローグ。ほんとうに一瞬の出会いだったのでしょう。しかしこの娘のしなやかな肢体、長い黒髪、そして澄み切った瞳は彼に忘れることのできない強い印象を与えたようです。ぽつり、ぽつりと語る歌の伴奏はうねるように音階が上がり下がりして、まるでツィンバロンのような民族楽器の響きが感じられて面白いです。この不思議な歌曲集の導入としてこの曲も、他の音楽ではまず聴かれないような独特の表情に満ち溢れています。
lelíkyというのが辞書になかったのですが、多くの邦訳やドイツ語訳で「おさげ髪」とありましたのでここでは「編んだ髪」としました。

( 2008.10.10 藤井宏行 )


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