TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


Gretchen am Spinnrade   Op.2 D 118  
 
糸を紡ぐグレートヒェン  
    

詩: ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832) ドイツ
    Faust Teil 1(ファウスト 第1部 1806) 18.Gretchens Stube(グレートヒェンの部屋) Meine Ruh ist hin

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Meine Ruh ist hin,
Mein Herz ist schwer,
Ich finde sie nimmer
Und nimmermehr.

Wo ich ihn nicht hab,
Ist mir das Grab,
Die ganze Welt
Ist mir vergällt.

Mein armer Kopf
Ist mir verrückt,
Mein armer Sinn
Ist mir zerstückt.

Meine Ruh ist hin,
Mein Herz ist schwer,
Ich finde sie nimmer
Und nimmermehr.

Nach ihm nur schau ich
Zum Fenster hinaus,
Nach ihm nur geh ich
Aus dem Haus.

Sein hoher Gang,
Sein' edle Gestalt,
Seines Mundes Lächeln,
Seiner Augen Gewalt,

Und seiner Rede
Zauberfluß,
Sein Händedruck,
Und ach,sein Kuß!

Meine Ruh' ist hin,
Mein Herz ist schwer,
Ich finde sie nimmer
Und nimmermehr.

Mein Busen drängt
Sich nach ihm hin,
Ach dürft' ich fassen
Und halten ihn,

Und küssen ihn,
So wie ich wollt',
An seinen Küssen
Vergehen sollt'.

私の安らぎはなくなり
心は重い
もはやもう
決して憩いを見出せない

あの人がいないところは
私には墓であり
全世界が
厭わしい

私の哀れな頭は
狂い
哀れな心は
ずたずた

私の安らぎはなくなり
心は重い
もはやもう
決して憩いを見出せない

あの方を求めて
窓から眺めるだけ
ただあの方を求めて
外に出るだけ

あの方の立派な足どり
高貴なお姿
口元の笑み
眼差しの力

おことばの
魔法のような澱みなさ
握ってくださった手の力
そしてああ あの口付け

私の安らぎはなくなり
心は重い
もはやもう
決して憩いを見出せない

私の乳房は
あの方へと急き立てられる
ああ許されるならあの方を捕え
抱き締めたい

口付けをしたい
私の望むままに
あの方への口付けで
消えてしまおうとも


『ファウスト』のマルガレーテ(愛称グレートヒェン)には、ゲーテが1771年にシュトラスブルク(ストラスブール)で捨てたフリーデリケFriederike Brion (1752-1813) 、1772年フランクルフルト・アム・マインで、不義の子殺人のために公開処刑されることとなったマルガレーテ・ブラントSusanna Margarethe Brandtが投影されていると言われますが、少なくともこの詩には、ゲーテ初恋の人と言われるグレートヒェンが糸を紡ぐ姿も映し出されていると思います。彼女は1764年、ゲーテが14歳の時に思いを寄せた少女で、『詩と真実』Dichtung und Wahrheit (1808-1831) 第1部に描かれています。
 ファウストは、メフィーストーフェレスの計らいにより、グレートヒェンと庭で甘美な時を過ごしましたが、彼女への愛と罪の意識に苦しみ、森林と洞窟で反省の日々を送っていました。そこへメフィストーフェレスがやってきて、グレートヒェンの心情や行動を伝えます。それはこの詩に表れる、彼女の心でした。すなわち、グレートヒェンはファウストに捨てられたと思い、彼が忘れられず、苦しんで失望しています。ファウストは、グレートヒェンの甘い肉体を思い出させるな、と叫びますが、メフィストーフェレスにそそのかされ、また愛欲にかられて、グレートヒェンのもとへとやってきます。そんなことを知らないグレートヒェンは、糸を紡ぎながらこの歌を歌います。
この詩は2ヘービッヒ、すなわち1行中の強音の数が2で、行を跨ぐ頭韻や同語韻、さらに、第1節AがABCADEFAGHと3度繰り返されることで、円形の糸車とその回転が表され、陰鬱で激情に満ちた詩句とともに、糸車の足踏みないし動悸を表すリズムが描かれています。敬虔で純粋なグレートヒェンが、ファウストによって灯された愛と愛欲の切なさを、日常の仕事ならびに恒久的な動きによって誠実を描く糸車の音にのって歌う、悲しくも激しい詩です。なおグレートヒェンとファウストとのこの段階での関係は、「森林と洞窟」にも詩の中にも描かれているとおりで、妊娠という悲劇を引き起こす行為は、この歌の後に起こります。誤解されやすいところですが、「糸を紡ぐグレートヒェン」を歌う上で、たいせつな点です。もっとも『ウアファウスト』(1887年に発見された「初稿ファウスト」とも言われるもの)では、「乳房」ではなく下腹部でしたので(註1)、そこまで考慮しようとするならば、肉体的な欲望表現がより激しくなるかもしれませんが。

 「糸を紡ぐグレートヒェン」はシューベルト最初のゲーテ歌曲で、1814年10月19日に成立しました。3日前の1814年10月16日、シューベルトの故郷リーヒテンタールの教会で、彼のミサ曲ヘ長調 D 105 が演奏され、その時にソプラノソロを歌ったのがテレーゼ・グロープ Therese Grob (1798 - 1875) という女性でした。彼女はホルツアプフェル Anton Holzapfel (1792-1868) によると、全然美人ではなく、かなり太って、瑞々しく童顔で丸顔だったようですが、美しいソプラノの声で歌が上手だったようです(註2)。シューベルトはミサ曲上演の夜、シラーの詩による「異国から来た少女」 Das Mädchen aus der Fremde D 117を作曲し、3日後の19日にこの「糸を紡ぐグレートヒェン」が成立しました。その後数年の間に、驚くほどの歌曲がつぎつぎに生まれます。シューベルトにとって、これらの歌曲はテレーゼ・グロープへの愛の告白でもありました。彼はアンゼルム・ヒュッテンブレンナー Anselm Hüttenbrenner (1794-1868) に「女性に全く関心がないのか」と尋ねられた時、「ぼくは一人だけ心から愛した人がいるし、彼女もそうだった」とグロープについて語ったということです(註3)。「糸を紡ぐグレートヒェン」の激しさに、シューベルト自身の恋情がこめられていることは言うまでもないでしょう。この曲は1821年に作品2として出版されました。
 一般に「糸を紡ぐグレートヒェン」の成立は「ドイツリートの誕生」と言われますが、すでに「潜水者」Der Taucher D 77 (1815)はじめが多くの名曲があったにもかかわらず、この曲がそう言われるにふさわしい理由を考えてみましょう。1817年にネーゲリHans Georg Nägeli(1773-1836)は、当時のリート芸術の理想として、ポリリズムPolyrhythmieを提唱しました(註4)。これは,詩と歌と楽器(ピアノ)のリズムが高度な芸術となって重なり合い、複リズムを構成することで、それによって言語表現が音楽と調和しながら芸術的に昂揚されることです。詩と歌の旋律とピアノの旋律が、それぞれ独立しながら、ポリフォニーのように重なり合うこと、このことをすでに1814年、17歳のシューベルトが、この「糸を紡ぐグレートヒェン」で達成していたのです。
 シューベルトは、「私の乳房は」を「弱く(p) 」で始め、「少しずつ次第に強く、かつ次第に速く」という指示を与え、「口づけをしたい」で「非常に強く (ff)」そのまま最後の詩句まで速さと強さを持続し、そのあとにやっと「次第に弱く、遅く」の指示をして、第1節最初の2行を繰り返しました。ですからシューベルトの指示のまま、第1節繰り返しの前まで弱くせずに歌って欲しいです。ファウストへの思慕と恋情、愛欲に満ちた歌で、激情的ですが、乙女らしい清純さも忘れてはならないでしょう。


詩の引用はFranz Schubert. Neue Ausgabe sämtlicher Werke. Hrsg. von der Internationalen Schubert-Gesellschaft. Kassel,Basel,Tours,London (Bärenreiter-Verlag) 1967- . Serie IV. Lieder: Vorgelegt von Walther Dürr. Bd. 1 Teil a 1970 ,S.10-19.
1) Goethe,Johann Wolfgang von: Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Bd. 3. Text kritisch durchgesehen und kommentiert von Erich Trunz. München (C. H. Beck'sche Verlagsbuchhandlung) 16. durchgesehene Aufl. 1996,S.405.
2) Holzapfel,Anton: Biographisches Material. Gesammelt von Ferdinand Luib.1858. In: Schubert. Die Erinnerungen seiner Freunde. Gesammelt und hrsg. von Otto Erich Deutsch. 4. Auflage (1. Auflage 1957) Leipzig 1983,S.72.
3) Hüttenbrenner,Anselm: Für Liszt. Bruchstücke aus dem Leben des Liederkomponisten Franz Schubert. Wien 1854. In: Ebd.,S. 209.
4) Nägeli,Hans Georg: Die Liederkunst. Allgemeine Musikalische Zeitung. Den 5ten November. In: Allgemeine Musikalische Zeitung. 19. Jahrgang vom 3. Januar 1817 bis 24. December 1817. No.45. vom Jahr 1817Leipzig (Breitkopf und Härtel) S. 765f.

(訳、記述2003年2月28日  改訳、加筆 2008年8月25日 渡辺美奈子)

( 2008.08.28 渡辺美奈子 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ