Izgnanniku Op.145-7 Sjuita na slova Mikelandzhelo Buonarroti |
追放者に ミケランジェロの詩による組曲 |
Quante dirne si de' non si può dire, chè troppo agli orbi il suo splendor s'accese: Biasmar si può più 'l popol che 'l offese, c'al suo men pregio ogni maggior salire. Questo discese a' merti del fallire, per l'util nostro,e poi a Dio ascese: E le porte che 'l ciel non gli contese, la patria chiuse al suo guisto desire. Ingrata,dico,e della suo fortuna a suo danno nutrice; ond' è ben segnio, c' a' più perfetti abonda di più guai. Fra mille altre ragion sol ha quest' una: Se par non ebbe il suo esilio indegnio, simil uom nè maggior non naqque mai. |
いかに多くを語ろうとも決して言い尽くせはしないのだ その目をくらませられて 彼のあまりの偉大さの輝きに 彼を侮った人々を非難する方がずっと容易だろう 彼のこれ以上ない功績に何かを言い足そうとするよりは 堕ちた者たちの国に下り 我らのために続いて神のもとに昇った 天の扉は閉ざされることはなかったのに 祖国は彼の願っていることを拒絶したのだ 恩知らずめ。そう言ってしまおう、彼の幸運は 祖国が偏見をはぐくんだことにある、その証拠はこれだ 最も完璧な者は最も厳しい苦難を受けるのだということ 幾千もの色々な理屈の中でたったひとつだけは真実なのだ: かつてこれほどの不正義はなかったが 彼に並ぶ あるいは超える者は決して生まれてきてはいない |
これも前の詩に引き続いてダンテのことを歌っています。音楽もアタッカで前の曲から切れ目なく続きます。いずれも1529年の詩だそうですのでそういう処理も妥当でしょうか。ミケランジェロ自身もローマ法王や権力者メディチ家との確執からフィレンツェを逃亡したり、あるいはメディチ家が追われたあとのフィレンツェの共和制の象徴になってみたり(ちなみにその後メディチが復権したときに、彼の共和政権の仲間たちは皆処刑され、彼だけが生き残ったのだそうです。これが1530〜31年のことだというのは何かこの詩の成立と絡めると興味深いです)とある意味ダンテ以上に激しい運命と言えなくもありません。最後は伴奏が激しく盛り上がってこのいにしえの大詩人を讃えます。
( 2007.12.16 藤井宏行 )