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Dante   Op.145-6  
  Sjuita na slova Mikelandzhelo Buonarroti
ダンテ  
     ミケランジェロの詩による組曲

詩: ミケランジェロ (Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni,1475-1564) イタリア
    Rime 248 Dal ciel discesce,e col mortal suo,poi

曲: ショスタコーヴィチ (Dimitry Shostakovich,1906-1975) ロシア   歌詞言語: イタリア語


Dal ciel discesce,e col mortal suo,poi
che visto ebbe l'inferno giusto e 'l pio,
ritornò vivo a còntemplare Dio,
per dar di tutto il vero lume a noi:

Lucente stella,che co' raggi suoi
fe chiaro,a torto,el nido ove naqqu' io;
nè sare 'l premio tutto 'l mondo rio:
Tu sol,che la creasti,esser quel puoi.

Di Dante dico,che mal conosciute
fur l'opre suo da quel popolo ingrato,
che solo a' iusti manca di salute.

Fuss' io pur lui! C'a tal fortuna nato,
per l'aspro esilio suo,son la virtute,
dare' del mondo il più felice stato.

彼は天より降り来て やがて死すべき人間の姿を取り
そして真の地獄と恵み深き地を見て
生きながら戻ってきた 神を見上げようと
われらすべてに真実の光を与えるために

輝く星よ、その光は照らすのだ
明るく、我らが生まれしこの土地を
この醜い世界には全く勿体ない人であって
御身のみが、彼を創造せしゆえ、彼にふさわしい

ダンテのことを語ろう、あまりに知られずにいることを
彼の作品が この恩知らずの市民たち
正しき人を賞賛することを知らぬ連中には

もしも私が彼であったなら!あれほどの幸運のもとに生まれたなら
あのつらい流刑にあっても その徳性で
この世界を幸福にできたであろうに 


ミケランジェロが「神曲」を書いたダンテ・アリギエリ(1265-1321)に心酔していたことはよく知られています。彼の傑作壁画「最後の審判」の中の地獄の風景はこのダンテの「神曲」地獄篇のイメージに基づくと言われているのは有名です。さてそんな大詩人が故郷フィレンツェでは受け入れられず、追放者として長く異郷の地にあったことをここでは彼は憤っています。「我らが生まれし土地(正しくは「巣」)」とはフィレンツェのことであり、そして「この醜い世界」というのも同じですね。恩知らずの市民たちというのもここの住人たちのことでしょう。そして最後の連で「あれほどの幸運」と書いているのは歌曲集でも次に取り上げられている詩「流刑者に」の中で詳しく語られている流刑のことではないかと思います。「最大の苦難が最大の幸運」というわけでしょうかね。
そしてちょうどショスタコーヴィチがこの歌曲集を書いた1974年といえば、かの地の反体制作家ソルジェニーツィンのことに絡んで、ショスタコーヴィチと親しかったチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤがほとんど国外追放のようなかたちでイギリスに亡命しています。ショスタコーヴィチ自身は作曲家界の重鎮として政府に逆らうことはできず、ソルジェニーツィンを非難する決議に名前を連ねたりしていましたので若く純粋なロストロポーヴィチたちからは責められていたりしたようですが、彼の本当の気持ちはこれとこの次の歌に表されているのかも知れないですね。
少なくともこれらの詩の選択がこの事件と全く無関係というわけではないと思います。
音楽は再び静かになりますが、ダンテを讃えるコラールが印象的に鳴り、そしてまたここでも静かな怒りに満ちています。

( 2007.12.16 藤井宏行 )


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