Az őszi lárma Op.16-2 BB72 Öt dal |
秋のエコー 5つの歌 |
Hallottátok már? Ősszel,amikor kavarog a köd, Az éjszakában valaki nyöszörög. Valami dobban. Valaki minden jajt összelopott, Valaki korhadt,vén deszkákon kopog. Egy régi ember. Míg élt,sohse volt csillag az egén S most vágyna egy kicsit szétnézni szegény. |
君たちは聞いたことがあるかい? 秋に、霧が立ち昇る時、 夜に 誰かが呻いているのを 何かを叩き付ける響きがする 誰かがこの世のすべての嘆きを奪い去り その誰かが古びた板をそっと叩くのだ ひとりのいにしえの人 生きてる間、空にはひとつの星もなく 今 ほんのわずかばかり 辺りを見まわそうとしているのだろう |
今回偶然見付けて面白かったのでご紹介しますが、バルトークの歌曲というのはあまり知られていないのではないでしょうか?
彼にはハンガリー民謡を編曲したものの他にもオリジナルの歌曲をいくつか残していて、これもそのうちのOp.16の「5つの歌曲」の中の一曲です。予想通り、彼の歌曲の作風はベルクやウェーベルンのような新ウィーン学派のモワッとした無調っぽいメロディの上に、ピアノが暴力的に土臭い伴奏を奏でるというもので、結構刺激的で面白いです。詩はハンガリーの抒情詩人の手になるもので、曲にぴったりの不気味に謎めいたものですし、ハンガリー語のカクカクした響きが絡み合う伴奏と絶妙に溶け合っています。
民謡の編曲では素朴そのものの(あたり前か)世界がかくも屈折し、凄まじいものになっているのは、バルトークという作曲家の類まれな才能を示しているのでしょうが、何とも不思議です。詩人のアディ・エンドレ(Ady Endre,1877〜1919)はハンガリーでも1・2を争う大詩人とのことですが私は今まで知りませんでした。それとどうでも良いことですがハンガリー人は日本と同じく姓・名の順で書くのが普通だそうですので、アディが姓、エンドレが名になります。バルトークもそうなると「バルトーク・ベラ」となるべきところですが、それはまあ日本人の欧米での表記が一定していないのと同じということで。
ハンガリーのレーベルHUNGAROTONに、ユリア・ハマリのメゾソプラノで録音されたこの歌曲集、Op.15とOp.16の5つの歌曲(計10曲)に、何曲かのハンガリー民謡の編曲と、Op.15の方の管弦楽編曲版(コダーイ編・これも暴力的伴奏を上手にオーケストレーションしていて非常に良い)が収録されています。
すべての歌曲ファンにお勧めという訳にはいきませんが、マーラー以降のロマンがドロドロにとろけきってしまい、甘ったるいメロディーが影も形も無くなった世界の歌曲がお好きな方は確実にハマれる世界だと思います。
なお、ここで訳した詩は、私はハンガリー語を解さない関係で対訳の英・独・仏語を見ながら訳したものですが、困ったことに3ヶ国語ともに内容が異なっていて(CDの対訳ではよくある)、 原詩をうまく訳せているかどうかわかりません。中では一番感じとして正しそうなフランス語訳を中心にかなり意訳してあります。詩の意味のわけがわからないのはそのためです。
(1999.12.02)
10年以上前、まだ訳詞のスキルもなく、英語とドイツ語・フランス語以外の言葉はまるで分かっていなかった頃に無謀にも手を出して、そして放置しておりました記事に対し、ハンガリーにご在住のH様よりたいへん懇切丁寧に詩人のことやハンガリー語のことをご教示頂くメールを頂戴いたしました。ハンガリー語はその後も私の方はずっとご無沙汰でしたし、ヨーロッパの他の言語とはあまりに違うことからこのようにご教示頂けることは大変に有難いことでございます。
ご教示頂いた内容をもとに、昔の訳詞を改訂致しますとともに、私だけが拝見致しますのも大変に勿体ないですので、お許しを頂きまして頂きましたメールの内容の一部を転載致します。非常に示唆に富んだ内容ですのでぜひご覧頂ければ幸いです。
これを拝読するに、とにかく微妙なニュアンスに満ちた詩だったのですね。ろくに分からずに訳そうとするのが何と無謀だったことでしょうか。
--頂いたメール一部抜粋---------------------
LÁRMAというのは主に人によって起こされる(雑)音のことです。
秋の物音、とかが近いでしょう。
Ady Endreはバルトークと同じくトランシルバニア生まれのハンガリー人の詩人、アバンギャルドの初期、シンボリズムに属します。私の住む街からブダペストまでの特急の名前にもなっています。
この時代の詩では、死は一つの美しいテーマでした。この詩には、無念にも幸せを知らずに死んだ人に対する哀れみが漂います。これは一個人に対する詩ではなく、すべての人間に対する作者の思いです。
dobbann 大きな厚い板が、大きな鈍い物で打たれるような時に使う。 ここでは棺の板のことでしょう
kopogはdobbannと違い軽くノックするような意味です。コツコツとかコンコン
星の無い空の下に生きた。(空に星がある、というのは主に精神的に幸せということです。余談ですがハンガリー語で男の子が女の子に ”星を数えようぜ” というのは”キスしようぜ” を意味します。)
そして今ちょっとだけ辺りを見回したいのだろうが(無理なことはわかっている)、かわいそうに。(辺りを見回すというのは、生き返って散歩してみたいと言うことではなくて、星空を見たい→幸せになりたい→神に近づきたい、神のいる天に昇りたいというようなニュアンスが含まれています。)
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( 2010.09.23 藤井宏行 )