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のんき節    
 
 
    

詩: 添田唖然坊 (Soeda Azenbou,1872-1944) 日本
      

曲: 添田唖然坊 (Soeda Azenbou,1872-1944) 日本   歌詞言語: 日本語


 學校の先生は えらいもんぢやさうな
 えらいから なんでも教へるさうな
 教へりや 生徒は無邪氣なもので
 それもさうかと 思ふげな
 ア ノンキだね

 成金といふ火事ドロの 幻燈など見せて
 貧民學校の 先生が
 正直に働きや みなこの通り
 成功するんだと 教へてる
 ア ノンキだね

 貧乏でこそあれ 日本人はえらい
 それに第一 辛抱強い
 天井知らずに 物価はあがつても
 湯なり粥なり すゝつて生きてゐる
 ア ノンキだね

 洋服着よが靴をはこうが 學問があろが
 金がなきや やっぱり貧乏だ
 貧乏だ貧乏だ その貧乏が
 貧乏でもないよな 顏をする
 ア ノンキだね

 貴婦人あつかましくも お花を召せと
 路傍でお花の おし賈りなさる
 おメデタ連はニコニコ者で お求めなさる
 金持や 自動車で知らん顔
 ア ノンキだね

 お花賈る貴婦人は おナサケ深うて
 貧乏人を救ふのが お好きなら
 河原乞食も お好きぢやさうな
 ほんに結構な お道樂
 ア ノンキだね

 萬物の靈長が マッチ箱見たよな
 ケチな巣に住んでゐる 威張つてる
 暴風雨(あらし)にブッとばされても
   海嘯(つなみ)をくらつても
 「天災ぢや仕方がないさ」で すましてる
 ア ノンキだね

 南京米をくらつて 南京虫にくはれ
 豚小屋みたいな 家に住み
 選挙權さへ 持たないくせに
 日本の國民だと 威張つてる
 ア ノンキだね

 機械でドヤして 血肉をしぼり
 五厘の「こうやく」 はる温情主義
 そのまた「こうやく」を 漢字で書いて
 「澁澤論語」と 讀ますげな
 ア ノンキだね

 うんとしぼり取つて 泣かせておいて
 目藥ほど出すのを 慈善と申すげな
 なるほど慈善家は 慈善をするが
 あとは見ぬふり 知らぬふり
 ア ノンキだね

 我々は貧乏でも とにかく結構だよ
 日本にお金の 殖えたのは
 さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
 話がロハ臺で モテてゐる
 ア ノンキだね

 二本ある腕は 一本しかないが
 キンシクンショが 胸にある
 名譽だ名譽だ 日本一だ
 桃から生れた 桃太郎だ
 ア ノンキだね

 ギインへんなもの 二千圓もらふて
 晝は日比谷で たゞガヤガヤと
 わけのわからぬ 寢言をならべ
 夜はコソコソ 烏森
 ア ノンキだね

 膨脹する膨脹する 國力が膨脹する
 資本家の横暴が 膨脹する
 おれの嬶(かゝ)ァのお腹が 膨脹する
 いよいよ貧乏が 膨脹する
 ア ノンキだね

 生存競争の 八街(やちまた)走る
 電車の隅ッコに 生酔い一人
 ゆらりゆらりと 酒のむ夢が
 さめりや終點で 逆戻り
 ア ノンキだね



「ハハのんきだね〜」というフレーズはどこかで皆様聞かれたことはあるのではないでしょうか。えっ所ジョージですか?確かに日本の歌うコメディアンに代々歌い継がれている黄金フレーズとなっている感のあるこのメロディ、衆議院議員にまでなった昭和の演歌師・石田一松(1902-1956)のヒット曲のひとつという認識が私には強かったのですが、実はこの歌もう少し古く大正の終わりに添田唖然坊によって書かれたこの曲がルーツなようです。
このときのメロディは石田がヴァイオリンを弾きながら飄々と歌っていた軽妙なものではなくて、高知の「よさこい節」をアレンジしたような感じでちょっと違っているのですが、詩の強烈さではこれもなかなかです。
いくつか大正・昭和史を紐解いてみないと分からないフレーズもあって調べ切れなかったものもあるのですが、非力ながら解説を加えてみようかと思います。

つい10年ほど前までは日本の社会も「一億総中流」ということで、この歌で学校の先生が教えているように真面目に働けば豊かに生きられると信じさせられた時代もありましたが、どうやらその幻想はこのところの世界情勢の中「格差社会」なんて言葉も出てきて剥げ落ちた感もありますね。ただ違うのはデフレ経済の昨今は天井知らずに物価が上がることはなく、粥でもすすって生きている、という状況には今のところなっていないこと(最近の原油高でインフレの足音が迫ってきてはいますけれども)。
もっとも歌詞にもあるように「貧乏が貧乏でもないよな 顏を」しているだけで実態は我が家も含めて悲惨なのかも知れません...
また違うと言えば少子化の現代、「おれの嬶ァのお腹が 膨脹する」っていう状況もほとんどなくなりました。この当時の日本の急激な人口増が満州などの植民地建設や南米などへの移民の急増と無関係ではなかったということもちょっと心に留めておいても良いでしょう。
そんな風に現代とはいくつか違っているところがあるとはいいながらもこの歌、歌詞を見るたびにたいへん身につまされます。大正時代に作られたものとはとても思えません。特に最後の電車の終点のシーンなど私は電車通勤ではありませんけれども共感のあまりに涙が出てきます。

「貴婦人あつかましくもお花を召せと」とあるのは、慈善活動の金集めなのでしょう。働かなくても金に困らないご婦人方が自腹を切るのではなくて街頭で花を売って募金をするいかがわしさ。また貴婦人の皆さんが河原乞食の方々をお好きなのは今も昔も変わりませんね。歌舞伎座とか新橋演舞場にいけば今でもたくさん会うことができます。それに外来の一流ブランドの歌劇場などでも...

こうやく(膏薬)をひらがなで書いてのところで「」を付けていた理由は調べましたが分かりませんでした。澁澤論語の渋沢とはもちろん明治の実業家・渋沢栄一のことですね。彼には孔子の論語を講釈した書物があり、今の経営者の間でも良く読まれているようです。資本家の言う温情主義なんて所詮膏薬程度のもんよ、と言いたげなところが何とも。

また貿易黒字を貯めた今の日本の姿は、大正期に第一次大戦特需で金を貯めた日本の姿にそっくりなところもあるのでしょうか。見せ掛けの金をかき集めてもちっとも豊かにならないという。公園のベンチ(ロハ台=無料(只)で座れる台だから)で喧々諤々の議論をする貧乏人の姿は、今のネット上の無料ブログ上での議論に移り変わっているのでしょうか。いやはや。

片腕を失った戦傷者の話も当時は有名だったものを持ってきているとは思うのですが具体的にどれとは特定できていません。また議員たちがこそこそ行く夜の烏森とは新橋駅の西口付近。最近は変わったかも知れませんが私の知る限りかなりうらぶれた怪しげな感じのする飲み屋街のイメージがあります。

そして最後のフレーズの八街とはどこでしょうか。よもや千葉県にある八街ではないとは思いますけれども...

( 2007.12.08 藤井宏行 )


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