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Surgi de la croupe et du bond   M.64  
  Trois Poèmes de Stéphane Mallarmé
腹のところから現れ出でて飛び出したる  
     ステファヌ・マラルメの3つの詩

詩: マラルメ (Stéphane Mallarmé,1842-1898) フランス
    Plusieurs sonnets  Surgi de la croupe et du bond (1887)

曲: ラヴェル (Maurice Ravel,1875-1937) フランス   歌詞言語: フランス語


Surgi de la croupe et du bond
D'une verrerie éphémère
Sans fleurir la veillée amère
Le col ignoré s'interrompt.

Je crois bien que deux bouches n'ont
Bu,ni son amant ni ma mère,
Jamais à la même Chimère,
Moi,sylphe de ce froid plafond !

Le pur vase d'aucun breuvage
Que l'inexhaustible veuvage
Agonise mais ne consent,

Naïf baiser des plus funèbres !
A rien expirer annonçant
Une rose dans les ténèbres

腹のところから現れ出でて飛び出したる
このこわれやすいガラスの入れ物の
ほろ苦い夜を花で飾ることもせざる
忘れ去られたその頸

われは深く信ず、ふたつの口は決して
わが母の口も その愛人のものも
決して同じ夢を飲んだことはなかりしを
われ、この冷たき天井の妖精と同じ夢を!

このきれいな花瓶にはいかなる飲物も入る
この一人暮らしの汲み尽くせない
何の同意もなく死に瀕する苦悩なら

あまりにもみじめなほどの愚直なくちづけ!
吐息も吐かずに予告する
暗闇の中の一輪のバラのことを


マラルメの詩といいますと色々と象徴的な意味をほのめかす言葉遣いにあふれていて、そのまま単語だけを追ってもさっぱり意味が分からないものが多いです。その中でもこれは全く意味が取れないお手上げ状態の詩なのですが、せっかく前の2曲ができたことですので現状できる範囲の精一杯の訳を付けてみました。非常に難解な詩で邦訳もほとんどないゆえか、ネットで検索していても「臀部より出でて,ひと跳びで」なんていう強烈なタイトルに訳されているのを見つけたりしました。フランス語のla croupeは確かに「お尻」という意味ですからそれで正確な訳といえばそうなのですけれど、ここで表現されているのはおそらくガラスの壷ですから、飛び出しているのは壷の口の部分。そして「お尻」で表現されているのはたぶん壷の膨らんでいる底の部分だと思いますので、私はお尻ではなくて「腹」という言葉を当てました。もっとも「腹」にすると壷の口が真横に突き出しているイメージになるかも知れませんね。花瓶のような容器でしょうから実際はこの口はもちろん上に突き出しています。まあハクション大魔王を呼び出す壷みたいに底がぷくっとヒップのように膨らんでいて生け口がきゅっと飛び出しているものの格好をイメージして頂ければ良いのではないでしょうか。むき出しになったその口が何も飾られることなくパックリと開いているだけの情景です。
2節目は更にわけが分からないですが、わが母とその愛人(原詩では愛人の方が先ですが分かりにくいので入れ替えました)が夢を口にする、とあります。これはこのあと出てくる風の精シルフ(妖精と訳しました)の両親が夢の泉を飲んでいたという伝説に基づいているようです。この夢を飲むという口が前に出てきた花瓶のむき出しの口なのでしょうか。あるいは天井から母の情事を見下ろしている風の精という解釈もできるかも知れません。そうすると最後の節の「愚直なくちづけ」というのとも繋がるような気もしますし、また第3節の「一人暮らしの苦悩」というのとの対比も付くかも知れません。
第3連は文法的によく分からなかったところがあります。この動詞Agonise mais ne consentするのが1行目の花瓶なのかそれとも2行目の一人暮らしなのか? 全体を文の形とするためには花瓶が苦悩すべきなのかも知れませんけれども、ここでは熟慮の末一人暮らしの方にかかるようにしました。理由は前述の母の情事です。そして最後の連、また先ほどの花瓶のむき出しの口を思い出させる、そこに本来飾られているべきバラ一輪のことが告げられて詩は終えられます。
それで結局何が言いたかったの?というと良く分からないままなのですが、心は燃え上がって苦しいのだけれど、花瓶の口(おそらく詩人の口でしょうか)からはそれを語るべき言葉が出てこない、だからむき出しのままになっている、といった耐えられないもどかしさ、といったところなのでしょう。いえ、これは独自の解釈ではなくて、非常に数は少ないですがこの詩の解説や鑑賞のいくつかに書かれたことの受け売りであるのですが...
冒頭のフルートのソロから非常に幻想的な雰囲気で、それが展開して木管と声の掛け合いへと至る最初の連はとりわけ美しいです。ストラヴィンスキーも顔負けな伴奏の楽器の選択がこの曲で最も見事に生かされたように思いますし、20世紀音楽としてその革新性はシェーンベルクを先取りしています。とにかく聴き込むほどに凄い音楽であることが痛感されました。

( 2007.10.01 藤井宏行 )


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