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O mistress mine   Op.18-4  
  Let us garlands bring
おい おれのカノジョ  
     花輪を捧げよう

詩: シェイクスピア (William Shakespeare,1564-1616) イングランド
    Twelfth Night (十二夜) Act.2 Scene.3 O mistress mine

曲: フィンジ (Gerald Finzi,1901-1956) イギリス   歌詞言語: 英語


O mistress mine,where are you roaming?
O stay and hear! your true-love's coming
That can sing both high and low;
Trip no further,pretty sweeting,
Journey's end in lovers' meeting?
Every wise man's son doth know.

What is love? 'tis not hereafter;
Present mirth hath present laughter;
What's to come is still unsure:
In delay there lies no plenty,?
Then come kiss me,Sweet and twenty,
Youth's a stuff will not endure.

おい おれのカノジョ どこほっつき歩いてんだ?
おい待て、聴け!あんたの恋人が来てんだから
おれは高くも低くも歌えるぜ
どこへも行くんじゃねえぞ、かわいいスィートハート
探し回ったって結局あ恋人のとこに戻るって
頭のイイ奴あ良く知ってんだからさ

恋って何だい? 先のことじゃねえよな
今ユカイにすりゃ今笑ってられる
先のことなどわかんねえんだから
ぐずぐずしていちゃ何もできない
だからキスしておくれ、甘く、何度も
若い時はただ一度、長くは続かないのさ


まるでルー大柴がしゃべってるような大仰な台詞回しになってしまいましたけれども、個人的にはこの訳けっこう気に入っています。フィンジの音楽も時に軽やかに、しかし急に荘重になるところなどもあってこんなクドイ歌詞の方が似合っているかなとも思えますものですから。
シェイクスピアのロマンティックな喜劇「十二夜」に出てくる道化師のフェステ、この歌曲集の第1曲にあるような非常にしんみりとした歌も歌っていますけれども、物語の多くの部分ではこんな風に与太者たちとクダを巻いて馬鹿騒ぎをしています。とは言いながらじっくりと読むとけっこう深遠な歌詞でもあります。単におちゃらけて軽く流すような歌であればこのフィンジをはじめとしてヴォーン=ウイリアムスやウォーロック、クィルター、サマヴェルといったイギリスの錚々たる作曲家にこれほど好まれ、曲を付けられることもなかったでしょう。おちゃらけてるのはお前だけだというツッコミがきそうですけれどもね。
“That can sing both high and low”というのは慣用句のようですが意味が分かりませんでしたので「高くも低くも」とそのままにしました。「陽気にもしんみりとも」のニュアンスかとも思ったのですがそう断定できるほど英語を良く知らないので。そういえばクリスティーナ・ロセッティの詩「あかちゃん」(アイアランド作曲の「母と子」の第6曲)でも“Sing it high,sing it low”というフレーズがあってそこでは「高らかに歌って そっと歌って」と訳していました。

( 2007.09.21 藤井宏行 )


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