When You and I Were Young,Maggie |
ぼくたち二人が若かったときには、マギー |
I wandered to-day to the hill,Maggie, To watch the scene below, The creek and the creaking old mill,Maggie, As we used to long ago. The green grove is gone from the hill,Maggie, Where first the daisies sprung, The creaking old mill is still,Maggie, Since you and I were young. A city so silent and lone,Maggie, Where the young,the gay,and the best, In polished white mansions of stone,Maggie, Have each found a place of rest, Is built,where the birds used to play,Maggie, And join in the songs that were sung; For we sang as gay as they,Maggie, When you and I were young. They say I am feeble with age,Maggie, My steps are less sprightly than then, My face is a full written page,Maggie, But Time's alone was the pen. Our heads they say are as gray,Maggie, As the spray by the white breakers flung, But to me you're as fair as you were,Maggie, When you and I were young. And now we are aged and grey,Maggie, The trials of life nearly done, Let us sing of the days that are gone,Maggie, When you and I were young. |
今日あの丘をそぞろ歩いたよ、マギー ふもとの景色を眺めようと思ったんだ あの小川や古びた水車小屋をね、マギー そこにふたりで座ったね、ずっとずっと昔に あの緑の茂みは丘にはもうなかったけれど、マギー そこは春一番のヒナギクが咲くところだったね でもあの古びた水車小屋はまだあったよ、マギー ぼくたち二人が若かった頃と変わらずに 街はとても静かで寂しそうだったよ、マギー 若くて、元気で、優秀だった人たちが 磨かれた白い石のお屋敷の中に、マギー 安息の場所を見つけているんだね その場所は鳥たちが遊んでいたところだったよ、マギー 彼らは歌われた歌に合わせて歌ってくれたね だってぼくらは鳥たちのように元気に歌ったのだから、マギー ぼくたち二人が若かったときには みんな言うんだ、私も歳相応に老けたねって、マギー 足元も前ほどしっかりしてないってね 顔も書き込み一杯の皺だらけだ、マギー 歳月がペンの役目をしていたんだね みんな言うんだ、ぼくらは老けて白髪だって、マギー 白波が飛び散るみたいな白髪だって だけど私には君は昔と変わらないよ、マギー ぼくたち二人が若かったときと こうしてぼくたちも歳を取って白髪になり、マギー 人生の試練も終わりに近付いた さあ、歌おう、過ぎ去った日のことを、マギー ぼくたち二人が若かったときのことを |
「マギー若き日の歌を」という題名で堀内敬三の名訳「年は過ぎいまは 思い出はあせても 歌おう声低く 若き日の歌を」でかつては日本語でもよく歌われていたようですので年配の方にはおなじみの歌でしょうか。
ただ私の世代ではちょっと言葉が古すぎるせいかあまり耳にすることはありませんでしたので、私にとりましては曲自体おぼろげな印象しかありません。この歌の作曲は1866年とちょうど南北戦争が終わった頃で、作曲者はイギリス出身ですが1850年代にアメリカに移住したジェームス・バターフィールドという人。ただこの曲以外には歴史に残った歌はないようです。
堀内訳では「まぶたにうかぶ ありし日の姿」と、この愛するマギーは死んでしまっていることになっておりますが、この歌の原詩ではご覧のように「お互い歳を取ったねえ」としみじみ語り合うたいへん味わい深いものになっています。音楽もそんなしみじみとしたほのかな明るさが心地よく、今でもアメリカやイギリスではたまに取り上げられているようです。
ところが歴史を紐解くと、この歌で歌われているマギーはこの曲の作詞者ジョージ・ジョンスンと1864年に結婚してわずか1年足らずで肺炎のため世を去った、とあります。まだ16歳の若さだったそうです。
詩人は彼女の思い出にこのような切なくも美しい詩を捧げたのでした。できることならば2人して美しく老いて、そしてこんな若い日の思い出話をしたかったものだと。そう思いながら聴くとなんとも切ない歌なのですね。原詞とはかなり違っているとはいえ堀内敬三の作詞もそうしてみるとこの歌の心からそう遠いところにあるわけではなさそうです。
この詩に歌われる街や野原はかれらが暮らしていたカナダのハミルトン近郊(ナイヤガラの滝の近く)を描いているのだそうで、アメリカ中部ののどかな草原の情景です。
2番がうまく訳せませんでしたが、もちろんみんなが見つけた安息の場とはもちろん墓地のことです。白い石の屋敷というのも墓石のことでしょう。「町」とあるのもそうしてみると墓地のことを言っているのでしょうか。
私が聴いたのは、20世紀初頭に活躍したリリックテナー、ジョン・マコーマックのとろけるように美しい歌声のSP復刻。あとカナダのCBCレーベルで英語の歌曲集ということでフォスターやアイブズ、コープランドなどの歌に混じってこの曲を取り上げているエディス・ウィーンズ(Edith Wiens)の歌。これは実にしみじみしていて良かったです。録音が新しいのも高ポイントですし、他に最近の録音もないようですので非常に貴重です。
( 2007.09.16 藤井宏行 )