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På verandan vid hafvet   Op.38-2  
  5 Laulut
海辺のバルコニーで  
     5つの歌

詩: リュードベリ (Viktor Rydberg,1828-1895) スウェーデン
    Dikter  På verandan vid hafvet

曲: シベリウス (Jan Sibelius,1865-1957) フィンランド   歌詞言語: スウェーデン語


Minns du de skimrande böljornas suck,
Att vid målet de hunnit
endast en jordisk kust,
Icke det evigas strand?

Minns du ett vemodsken
Fran himlens ovanskliga stjärnor?
Ack,åt förgängelsens lott
Skatta de äfven till slut.

Minns du en tystnad,då
allt var som sänkt i oändlighetsträngtan,
stränder och himmel och haf,
Allt som i aning om Gud?

お前は覚えているか きらめく波たちの溜息を
彼らがたどり着いた先が
結局地上の浜辺でしかなくて
永遠の岸辺ではなかった波たちの溜息を?

お前は覚えているか 悲しげな光を
天の永遠の星たちから届く光を?
ああ、滅び行く者の定めを
彼らも最後には負っているのだ。

お前は覚えているか 沈黙を
すべてのものが無限への渇望に沈み行き
岸辺も 天空も 海も
みな神を予感していたかのような沈黙を?


シベリウスの傑作歌曲集群というと作品36・37・38の3セットが挙げられることが多いようです。彼の歌曲をまとめて聴いてみると必ずしもその説に賛同できるほど他の歌曲集がこれらに比べて劣っているとも思えないのですが、確かにこの3つのセットに含まれる歌曲には、「黒いバラ」(Op.36-1)や「そよげ 葦よ」(Op.37-4)「3月の雪のダイヤモンド」(Op.36-6)「初めてのくちづけ」(0p.37-1)「デートから戻った娘」(Op.37-5)といった具合に彼の歌曲作品でも飛び抜けて演奏頻度が高いものが集中しているのも事実です。
さてそんな中、作品38の5曲ですが、美しいメロディで耳に優しい曲の多い前の2つに比べると、暗く、厳しい音楽が多いのがこのセットの特徴でしょうか。シベリウスの交響曲作品に喩えれば第2番や第5番のような旋律にもポピュラリティがあって美しい響きに浸れるのが前の2つのセットOp.36・37、逆に交響曲第4番のように研ぎ澄まされて厳しくなかなかとっつきにくい音楽がOp.38とでも見立てられます。このセットの中で一番知られていて良く演奏されるこの曲にしてもおよそ聴きやすいメロディアスな曲とは言えません。
ただ、声とピアノだけによる作品にも関わらずその壮大なスケール感は確かにこの歌曲を傑作たらしめています。Op.36や37のいくつかの曲のように気楽に鼻歌で口ずさむ、っていうようなわけには参りませんが、名唱でじっくり聴くと痺れがくるくらいすばらしいのがこの曲です。詩も大自然の中にひとりぽつんと放り出されて、神や宇宙のことについて思索する、といった感じが鮮烈です。これだけ壮大な大自然でもいつかは滅び行くのだという無常観。なかなかに凄いと思いませんか。
そのスケール感からこの曲もオーケストラ伴奏で歌われることも多いですが、私は何もそこまでしなくても、と思わなくもありません。キルステン・フラグスタートやビルギット・ニルソンなど往年のワーグナー歌手の歌声を管弦楽伴奏で聴くとそれはもの凄い迫力であるのも確かではありますが。

詩人のリュードベリ(Abraham Viktor Rydberg 1828 - 1895)はスウェーデンの作家&詩人。19世紀スウェーデンを代表する文豪でもあり、またリベラル派の政治活動を熱心にしていたことでも知られているようです。
シベリウスは彼の詩をこのOp.38を中心にいくつか歌曲にしています。スウェーデンの人ではありましたがお気に入りの作家だったのでしょうか。

( 2007.08.03 藤井宏行 )


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