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Les chemins de l’Amour   FP 106  
 
愛の小径   
    

詩: アヌイ (Jean Marie Lucien Pierre Anouilh,1910-1987) フランス
      

曲: プーランク (Francis Poulenc,1899-1963) フランス   歌詞言語: フランス語


詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
いつも通(かよ)った
なつかしい小径(こみち)
花は色褪せて
あの人のことも
遠い思い出

ああ! 素敵な日
消え去った幸せ
偲びながらこの道
ひとり歩く


  どこにあるの
  愛の小径
  なくした 昔は
  戻りはしない

  つらい別れも
  熱いキスも
  あのときめきも
  愛の夢も


失うことが
人生ならば
この思い出もまた
いつか消えるのか

ああ でも残る
あの手のぬくもりは
震えるこの胸を
暖めてくれた


  どこにあるの
  愛の小径
  なくした 昔は
  戻りはしない

  つらい別れも
  熱いキスも
  あのときめきも
  愛の夢も


(著作権のため大意の紹介です
 一応これで歌えるように言葉を選んだつもりです)


プーランクの音楽は20世紀に書かれたにも関わらず、その明解な分かりやすさで愛されています。取り立てて新奇なことをやっている訳でもないのですが、音楽自身が彼の個性で満ち溢れていて、好きな人は思いっきりはまってしまう作曲家ですね。彼はよく協奏曲とか室内楽曲にポピュラー音楽のパロディかと見まがうようなキッチュな旋律を織り込むことがありますが、その線でいくとこの曲など絶品の大衆シャンソンのパロディといっても良いと思います。もともと劇音楽の挿入歌だったようですので、プロのクラシック歌手が歌うことを想定していなかったかのようなメロディ
ラインです(「あなたが欲しい」とかのサティのシャンソンよりももっと俗っぽいかも)。
にも関わらず彼の個性である純真で伸びやかなメロディが溢れんばかりにこぼれていて、大衆歌曲としても絶品の作品と言って良いと思います。
これだけ俗っぽく書きながら、なお下品になったり、紋切り型(演歌でいう「ちゃんかちゃかちゃか」のシャンソン版)が顔を出したりしないのはやはりプーランクの天才を示すものだと思います(誉め過ぎか?)。
ジェシー・ノーマンやフェリシティ・ロットなど、クラシックの大御所ソプラノが録音していたり、EMIの歌曲全集にある美声のフランスのコロラトゥーラ、マディ・メスプレの歌なども素敵ですが、この俗っぽさを思い切り遊んでいる、ドミニク・ヴィスのカウンターテノールのようなのに実は真実の魅力が隠れているのではないかと思うことがあります。こういう曲は歌謡曲と一緒で、どれだけ歌手の芸が出るかが命のところがありますから...

初演者のイヴォンヌ・プランタンのSP復刻録音がEMIにありますがこれも相当遊んでいます。
この人、フランスの水谷八重子とでもいえるような舞台女優ということでクラシックの発声ではありませんし、歌い崩しも激しいのですがこの曲はそういうものとして聴くのが良いのだと思います。リフレインのフランス語の響かせ方など実に素晴らしかったです。

そして先日亡くなったアメリカのソプラノの大御所ビヴァリー・シルズ、彼女が往年のポップ・クラシックの名指揮者アンドレ・コステラネッツの濃厚な伴奏を得て歌う恐ろしくゆったりとしたこの歌(Sony)。私は初めて聴いたときは「なんじゃこりゃ???」と思ったものですが、聴き込むほどに味が出てきます。こういった芸の格というやつはなかなか評価も難しく、これから聴けることもなくなっていくのでしょうか。

詞は即興で作りましたのであまり出来はよろしくありません。シルズくらいメロディラインを歌い崩していればなんとか曲に当てはまるでしょうか。でも言葉のイントネーションが全然取れてませんので、すごくヘンてこな和風シャンソンになってしまったような気がします。自分でも口ずさんでみましたけれども、WAHAHA本舗の梅垣義明さんがやるようなブキミなシャンソンを思わず連想してしまう品のなさが、もしかしなくてもプーランクのメロディの魅力をぶち壊しにしているかも知れませんがどうかお許しを。

( 2007.07.14 藤井宏行 )


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