MI・YO・TA |
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1950年代 黛敏郎のアシスタントをしていた武満が何か映画の音楽のために書いたわずか9小節のメロディ、結局どの映画に使われることもなく、彼の死まで埋もれておりました。葬儀の席で黛が「余りに素晴らしいので映画に使うのが勿体なくて、ひそかに私が使わずにとっておいたものです。私はあらゆる音楽を通じてこれほど哀しい曲を知りません。いうならば哀しみの表現の極致といえるでしょう。」と弔辞で語り、このメロディを何度も口ずさみ霊前に捧げたことで世に出たのです。武満のたくさんの歌の詞を書いた谷川俊太郎がしみじみとした追憶の詞を書き、ひとつの歌に仕上げました。独唱だけでなく合唱曲にも編曲されていますが、この曲の味わいはクラシックの発声では生きないと思います。武満の歌ではゆかりの石川セリさんが録音したものが絶妙の味わいでした。
タイトルのMI・YO・TAというのは武満の別荘のあった長野県の御代田町のことです。
( 2021.01.12 藤井宏行 )