Aus banger Brust Op.50-4 6 Lieder |
不安な胸の中より 6つの歌 |
Die rosen leuchten immer noch, Die dunklen Blätter zittern sacht; Ich bin im Grase aufgewacht, O kämst du doch, Es ist so tiefe Mitternacht. Den Mond verdeckt das Gartentor, Sein Licht fliesst über in den See, Die Weiden stehn so still empor, Mein Nacken wühlt im feuchten Klee. So liebt' ich dich noch nie zuvor! So hab' ich es noch nie gewusst, So oft ich deinen Hals umschloss Und dein Innerstes genoss, Warum du so aus banger Brust Aufstöhntest,wenn ich überfloss. O jetzt,o hättest du gesehn, Wie dort das Glühwurmpärchen kroch! Ich will nie wieder von dir gehn! O kämst du doch! Die Rosen leuchten immer noch. |
バラたちは今でも光っている 暗い葉は静かに揺れている 私は草の上で目を覚ました おお あとはあなたが来てくれさえすれば 今は深い真夜中 月は庭の門の陰に隠れ その光は湖面へと流れ込んでいる ヤナギの木が静かにまっすぐ立ち 私の首は湿ったクローバーの中に埋もれてる こんなにも愛したことはなかった 私はあなたのことを! 私は今まで気づかなかった 私はあなたの肩を幾度も抱き そしてあなたの心の奥底を覗き込んでいた どうしてあたたはその不安な胸の中を 痛ませていたのか、私がそうして楽しんでいた時に おお 今、あなたが見てくれさえすれば ここに2匹の蛍が這っているのを! 私はもう二度とあなたと別れたくはない! おお あとはあなたが来てくれさえすれば! バラたちは今でも光っている |
シベリウスの歌曲によもやリヒャルト・デーメルの詩につけたものがあるなどとは思ってもみなかったことですが、彼の数少ないドイツ語に付けた歌の中で、Op.50に含まれる2曲がデーメルの詩によるものでした。
デーメルの詩といえば、リヒャルト・シュトラウスやアントン・ウエーベルン、アルバン・ベルクといった人たちによってよく歌曲に取り上げられており、そのもやっとした幻想性やトロトロの世紀末美はドイツリートにお詳しい方はよくご存知のところでしょうか。そんな詩人の持ち味が、シベリウスのような剛毅さや爽やかな叙情性を売りにする作曲家とはあまりしっくりこないような気がしたもので。
ところが聴いてみるとけっこうこれが良いのです。この曲もドイツ語で歌われているからでしょうか。他のシベリウスの歌曲とはどことなく違った響きがします。ピアノ伴奏の響きなども含め、シューベルトの「冬の旅」の中の1曲のようです。シベリウスらしさが強くない分、彼の歌曲のファンの方にはもの足りないかも知れませんが、ドイツリートとしてはなかなかの傑作ではないかと思います。
詩は解説するまでもないかと思いますが、彼女(妻?)に捨てられた哀れな男がひとり寂しく庭で目覚めた情景です。蛍が出てくるので夏の景色でしょうか。ひとりよがりで自分さえ良ければと勝手なことばかりしていたのを後悔しているがあとの祭です。面白いな、と思った言い回しは3連目のich deinen Hals umschloss、直訳すると「首を抱く」ですが、日本語では言わない言い方です。よくよく考えると肩を抱きしめるときの形が首を抱くようにもなっていますからきっとこのジェスチャーでしょう。決して首だけを絞めるように抱いているわけではないと思います。
またその次のInnerstes genossというのも難しい言い回しです。直訳では「心のあり方を満喫する」とでもなりますでしょうか。相手の気持ちを弄ぶようなニュアンスも感じましたがよく分からないので、ここでは「覗き込む」としています。
ヒュンニネンやクラウセのピアノ伴奏による録音が聴けます。ヒュンニネンには管弦楽伴奏で歌ったものもありますが、この曲は管弦楽伴奏には向かない感じ。ちょうどシューベルトの「冬の旅」が恐らく管弦楽伴奏に編曲すると情感がぶち壊しになるであろうのと同じです。
( 2007.06.02 藤井宏行 )