パン |
|
パンをつれて、愛犬のパンザをつれて 私は曇り日の海へ行く パン、脚の短い私のサンチョパンザよ どうしたんだ、どうしてそんなに嚏(くさめ)をするんだ パン、これが海だ 海がお前に楽しいか、それとも情けないのか パン、海と私とは肖(に)てゐるか 肖てゐると思ふなら、もう一度嚏をしてみろ パンはあちらへ行つた、そして首をふつて嚏をした 木立の中の扶養院から、ラディオの喘息持ちのお談議が聞える 私は崖に立つて、候兵(ものみ)のやうにぼんやりしてゐた 海、古い小さな海よ、人はお前に身を投げる、私はお前を眺めてゐる 追憶は帰つてくるか、雲と雲との間から 恐らくは万事休矣、かうして歌も種切れだ 汽船が滑つてゆく、汽船が流れてゆく 艫(とも)を見せて、それは私の帽子のやうだ 私は帽子をま深にする さあ帰らう、パン 私のサンチョパンザよ、お前のその短い脚で、もつと貴族的に歩くのだ さうだ首をあげて、さう尻尾もあげて あわてものの蟹が、運河の水門から滑つて落ちた その水音が気に入つた、――腹をたてるな、パン、あれが批評だよ |
|
( 2020.12.06 藤井宏行 )