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彩雲追月    
 
 
    

詩: (,-) 
      

曲: 任光 (Ren Guang,1900-1941) 中国   歌詞言語:


歌詞はありません


これはもともとは歌ではなくて中国の伝統楽器で奏でられる器楽曲として1935年に書かれたもののようです。ただその美しいメロディに惹かれたか、日本では昭和18年(1943)に古賀政男が旋律に少し手を入れ、藤浦洸が詞を付けた「南の花嫁さん」という歌謡曲として「歌う映画スター」の高峰三枝子によって歌われヒットしています。なぜかこの時は作曲者に古賀政男の名前がクレジットされていて長く彼の作品とされていたようですが、歌った高峰が戦後中国に行ったときにこのメロディが流れているのを聞いて驚き、それから本当の作曲者の名前で紹介されるようになった、と言ういわくのある曲でもあります。
メロディが実に心安らぐように美しく、そこに「おみやげはなあに カゴのオウム 言葉もたったひとつ いついつまでも」とかいったとても可愛らしい歌詞が付いていて印象的。太平洋戦争真っ最中の暗い時期にこのような優しい歌が流行したというのもとても不思議なのですが、もっと印象に残ったのがこの作曲者任光(レン・グアン)のこと。この人は中国・浙江省出身で上海で音楽を学び、フランスにも留学していたことのある音楽家で、留学から帰国後は上海で音楽プロデューサーとして「漁光曲」はじめいくつもの映画音楽を書いた人なのですが、日中戦争勃発時は共産党軍(新四軍)のもとで抗日活動に参加し、わずか41歳の若さで1941年に安徽省で起きた国民党と共産党の軍同士の内戦である皖南事変の犠牲となり亡くなっています。
抗日活動の結果志半ばで没した作曲家の作品が死の2年後の1943年に彼の作品と知られることもなく日本で大流行した、というのも運命の皮肉を感じさせます。

残念なことに日本では完全に懐メロの扱いで、高峰三枝子も亡くなってしまった今やこの「南の花嫁さん」も相当年配の方でないとご存知ない歌になってしまっているようですが、このあたりの名曲をとても素敵なスタイルでカヴァーしているテノールの五郎部俊朗さんの歌(Colombia)が聴けます。実は私もこれで初めてこの曲を知ったのではありますが...

他方中国では、この曲の西欧音楽風の和声に繊細な伝統的メロディが付いているのが愛されてか、その後いろいろな歌詞が付けられて今に至るまで歌い継がれているようです。「彩雲追月」あるいは「彩云追月」で中国のCDのネットショップなどを検索してみて頂けると、おやっと思うような若手の歌手までが歌っているのを色々と見つけることができます。
私が聴いたのは、2005年の超級女声(日本でいうと70〜80年代の「スター誕生」みたいなTV番組になるでしょうか)の優勝者で今中国では大人気の女性アイドル・李宇春(クリス・リー)や同じ入賞者の何潔(ハー・ジエ)などの少女たちがゴスペルコーラス風に歌っているこの曲。なかなかに素敵です。著作権が疑問なので紹介するのは憚られるのですがYouTubeでは動画でも見れました。本題にはまるで関係ないのですけれど、何潔ってとってもカワイイ娘ですね...
中国では日本に比べるとこういう伝統的なメロディも大事にするんでしょうか。モーニング娘あたりのアイドル歌手グループが服部良一の「楚州夜曲」をみんなでコーラスしているみたいで聴いていてかなりのインパクトを受けました。
そこでの歌詞は「月に雲がかかって朧な中、私はあの人のことを想う。会いたいなあ、月よ私の想いを届けて」といった感じのものでした。中国語はあんまりよくわからないのですがなんともみやびな感じです。
ちなみにタイトルの「彩雲追月」というのは「彩られた雲が月を追いかける」といった意味(ってそのままかい)です。秋の月夜のイメージですね。

「楚州夜曲」を引き合いに出しましたが、あれに遜色ないほどモダンで、かつ溜息が出るほど美しいこの東洋のメロディ、今更「南の花嫁さん」にこだわる必要もないですから、どなたか日本語の新しい適当な歌詞をつけてでも歌ってみられたら良いのに、と思わずにはいられません。いやもちろん藤浦洸の素敵な歌詞が忘れ去られるのも惜しいことではあるのですが...
(そういえば遊佐未森さんもこの「南の花嫁さん」を歌っていました。かなりカルトなアルバムなので彼女のファンでも言及されることが少ない「檸檬」という懐メロばかりをカヴァーしたCDです)

( 2007.03.30 藤井宏行 )


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