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上海だより    
 
 
    

詩: 佐藤惣之助 (Satou Sounosuke,1890-1942) 日本
      

曲: 三界稔 (Mikai Minoru,1901-1961) 日本   歌詞言語: 日本語


拝啓御無沙汰 しましたが
僕もますます 元気です
上陸以来 今日までの
鉄のかぶとの 弾のあと
自慢ぢゃないが 見せたいな

極寒零下の 戦線は
銃に氷の 花が咲く
見渡す限り 銀世界
敵の頼みの クリークも
江南の春 未しです

隣の村の 戦友は
えらい元気な 奴でした
昨日も敵の トーチカを
進み乗っとり 占領し
もぐら退治と 高笑い

あいつがやるなら  僕もやる
今に見ておれ  僕だって
敵のタンクを  分捕って
ラヂオニュースで 聴かすから
待っててください  お母さん



この曲を初めて聴いたときに、メロディが添田唖然坊の「ラッパ節」にそっくりだったのでたいへん印象に残っています。意図的に真似たところもあるようですが、ただあの「名誉名誉とおだてあげ 大事な倅をむざむざと 大砲の餌食に誰がした もとの倅にして返せ」というラッパ節のフレーズを思い出すと、この歌詞でこのメロディというのはちょっと罪な使い方のように私には思えてなりません。そして戦争体験していない者の目からみてもこの歌、あまりリアリティを感じさせないのです。「鉄のかぶとの 弾のあと」がボコボコになっているほど被弾した兵士がこんなに平然としていられるものかどうか。勘ぐった見方をすれば、老母を心配させまいと戦場の悲惨な状態を知らせまいと(そしてもちろん手紙には検閲もあったでしょうから)こんな内容の手紙を書いたのだ、とさえ思えてしまいます。
日本本土がまだ戦場になっていなかった時期ゆえに、戦争にいっていない人にはまだこんなファンタジーが信じられたのでしょうか。というよりも現実が厳しかったゆえに、こんな幻想につかの間の安らぎを求めていたのでしょうか。第二次大戦では自ら前線に赴くことを志願しニューギニアで戦病死した上原敏の品のある歌声がまた現実離れしたなんとものどかな味わいを醸し出しています。
その新鮮さが受けたのかこの曲も大ヒットしたようで「満州娘」から「北京娘」などが生まれたと同様、「南京だより」「北満だより」から更には遠く「仏印だより」まで様々な二匹目のドジョウが作られました。それらの地域への歌手の慰問にも使われたという側面もあるのでしょう。

 詞は昭和前半の大作詞家と呼べる佐藤惣之助です。大正末〜昭和はじめの流行歌で大当たりしているものを見ると、10曲に1曲くらいの割でこの人の名前を見かけるのでは?というくらいの大物です。大阪の方には阪神タイガースの歌「六甲おろし」の作詞でお馴染みですね。そして作曲の三界稔は戦後にも活躍した人で、奄美出身であった関係からその地の新民謡をいろいろ手がけられ、中でも「島育ち」は有名でしょうか。

上海という町は日本でいえば横浜のようなところなので、港の異国情緒をかき立てるところなのでしょうか。戦前も戦後も日本でいろいろな歌謡曲作品になっています。ただ不幸なことに日中戦争の様々な舞台になったところでもあって、それがまた当時の日本人の関心を強く引いたということもその理由としてあるのかも知れません。また文化の拠点としてこのサイトでもご紹介している様々な中国人作曲家が活躍していた町でもあります。

( 2007.03.30 藤井宏行 )


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