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O sole mio    
 
私の太陽  
    

詩: カプッロ (Giovanni Capurro,1859-1920) イタリア
      

曲: ディ・カプア (Eduardo di Capua,1865-1917) イタリア   歌詞言語: イタリア語


Che bella cosa na jurnata 'e sole!...
N'aria serena doppo a na tempesta...
Pe' ll'aria fresca pare giá na festa...
Che bella cosa na jurnata 'e sole!...

Ma n'atu sole
cchiù bello,oje né',
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
'O sole,
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
sta 'nfronte a te!


Lùceno 'e llastre d''a fenesta toja;
na lavannara canta e se ne vanta...
e pe' tramente torce,spanne e canta,
lùceno 'e llastre d''a fenesta toja...

Ma n'atu sole
cchiù bello,oje né',
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
'O sole,
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
sta 'nfronte a te!


Quanno fa notte e 'o sole se ne scenne,
mme vène quase na malincunia...
sott''a fenesta toja restarría,
quanno fa notte e 'o sole se ne scenne...

Ma n'atu sole
cchiù bello,oje né',
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
'O sole,
'o sole mio,
sta 'nfronte a te...
sta 'nfronte a te!


なんと美しい日だ、太陽の輝く日は
澄み切った空気は嵐のあとに!
爽やかな空気はまるで宴のよう
なんと美しい日だ、太陽の輝く日は

だが、もうひとつの太陽は
もっと美しい、おおお前よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
太陽よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
それはお前の顔なのだ


きみの窓のガラスは輝く
洗濯女が歌い、自慢しながら
洗濯物を絞り、干している
きみの窓のガラスは輝く

だが、もうひとつの太陽は
もっと美しい、おおお前よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
太陽よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
それはお前の顔なのだ


夜になると 太陽は沈み
私はとても 憂鬱になる
この窓の下で ずっと見上げている
夜になると 太陽は沈む

だが、もうひとつの太陽は
もっと美しい、おおお前よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
太陽よ
私の太陽
それはお前の顔なのだ
それはお前の顔なのだ


ナポリターナ(ナポリ歌曲)の代表格とも言えるのがこの「私の太陽」でしょうか。
イタリア音楽にそれほど詳しくない方でも「オーソーレ ミーオー」というサビの部分は耳になじんでおられるのではないかと思います。売れないコメディアンがこのメロディで「おおそれ見よ」とクダラナイ駄洒落を飛ばしているくらいポピュラーなのですが、原詩がナポリ語であるためかあまり元の歌の歌詞の内容は正しくは知られていないのではないでしょうか。
今回私も直訳を試みていくつか興味深い発見がありましたので、そんなあたりがお伝えできればと思います。特に2番の歌詞、こんなんだったとは私も初めて知りました。というのも歌ではこの節は良く省略されてしまっていますのでそもそも目にする(耳にする)機会が少ないですし、あっても日本語ではここで鼻歌を歌いながらお洗濯しているのは愛する彼女だと考えた上に、更に生活感がにじみ出てしまっているお洗濯のシーンを削って「夕暮れ時に窓辺で歌うあなたよ」というような歌詞にされているのが普通だからです。
これに限らず、空に輝く太陽に負けないもうひとつの太陽、それを多くの邦訳ではあなたの「瞳」としているのですが、それだと一つ目小僧じゃないんですから太陽は2つないとおかしいですよね。原詞ではここは“fronte”ですので、日本語にすると詩情もへったくれもありませんが褒め讃えているのは恋人の「顔」なんですね。よほどここは「姿」としようかと思いましたが、その辺の異文化のギャップをはっきりさせるのも良いかと思いここではそのままにしました。それだけストレートに誉めるのがナポリ流ということかも知れませんので。
(厳密に訳すとこのフレーズ'nfronte a te、たぶん英語ではin front of youになりますから「君の前に(太陽が)ある」という解釈でもっと放射するオーラのようなもののことを言ってるのだと見ることもあり得ますが、私はやはりこのfronteは「顔」と取るべきと思いました)

イタリア歌曲を歌う人ならまず歌っていない人はないほどポピュラーな作品。古くジーリやカルーソーでも、ディ・ステファノでもデル・モナコでも、あるいはパバロッティでもホセ・クーラでもみんなインパクトのある歌を聴かせてくれますけれども、ここはひとつ更にインパクトのある異色な歌声として反則技ではありますが、3大カウンターテナーの3重唱を挙げましょう(Harmonia Mundi)。ドミニク・ヴィスにアンドレアス・ショル、パスカル・ベルタンのカウンターテノール大御所3人が裏声を張り上げて見事に歌うこの歌、それはそれは強烈です。おなじみ「3大テナー」(パバロッティ、ドミンゴ、カレーラス)が同じように歌ったのも確かあったと思いますが、そんな当たり前すぎる歌では決して感じることのできない妖しさが魅力です。
そういえばこの歌に限らずナポリターナって女性が歌っているのは私、聴いたことがありませんけどやっぱり歌わないお約束なんでしょうかね。


イタリアの有名な歌を取り上げると皆古い歌であるにも関わらず何やら著作権絡みの悩ましい話にばかり出くわすのですが、これもWikipediaで調べたら2002年のトリノの裁判で、第3の作者としてAlfredo Mazzucchi (1878-1972)という人の権利が認定されたとかで、日本の現行法でも2023年の正月まで著作権が切れていない、という困った話が出て参りました。一応弊サイトのポリシーで作詞者の没年で著作権を判断するというのと、このMazzucchiという人は作曲について貢献した、という記事を見つけましたのでお叱りを受けるリスクもありますが原詞と訳詞共に掲載することにします。
ちなみに作詞者はGiovanni Capurro (1859-1929)、作曲者はEduardo di Capua (1865-1917)ということで、この2002年の裁判がなければとっくに著作権は切れております...この曲は1898年の作曲でした。もう100年以上も前なのですけれどね。

http://faculty.ed.umuc.edu/~jmatthew/naples/blog.html

この記事を見ると、作詞者のカプッロも作曲者のディ・カプアも25リラで楽譜商に曲を売り払ってしまったので、この曲がバカ売れした恩恵はまるで受けていなかったという話が載っています。日本では1980年にこの曲は著作権切れになっていたはずなのですが(当時はヨーロッパでも作者の死後50年だったと思いますのでその時日本と同時に切れたはずです)、この記事が示しているように2002年に再び著作権が復活、使用料を払わないといけなくなってしまいました(運用上どのような判断をイタリアの著作権者がされているのかは分かりませんが、原則的にはそうなります)。
この曲の作者が別にそれで潤うわけでもありませんし、もしこれから徴収を再開するというのなら発生するであろう莫大な著作権料で誰が儲けるのだろうか、なんていう下世話な話も出てくるわけで私などは非常に馬鹿馬鹿しく思えてならないのですけれども、それが音楽ビジネスを上手にやるための基本なんでしょうか。

どうかこんなことでえげつなく儲けようなんて人が関係者に出てこないことを祈るばかりです。一度世界の共有財産になった音楽で...

( 2007.03.10 藤井宏行 )


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